鹿  その28


 川内大綱引き (sendai ootunahiki)

川内市  せんだいし 

毎年9月22日は、日本一の大綱と言われる、川内の大綱引きがあります。
この綱の長さは一年にちなみ365m、太さ35cm、重さは5トンと推定されるそうです。
綱は、綱引き当日の朝から、通りの車を止め、数百本の縄を練り上げてつくります。
綱引きの場所は4車線の国道3号線を通行止めにして、年周りで場所を変えます。
島津義弘の朝鮮征伐に関連した行事と言い、400年以上の歴史があるとされます。
綱引きの役割に、押し隊があり、これは、相手の引き隊の邪魔をする殴り込み隊で
敵味方の押し隊度同士がぶつかり、「喧嘩綱」とも呼ばれる勇壮な伝統綱引きです。

上方押し隊、肩車は大将三役だけだが・・赤い旗の辺りで下方と小競り合い中


 川内市の上方と下方に分かれて、3000人の上半身裸の若者が綱を引き合います。
1番太鼓、大将、押し隊隊長が綱引きのかなり前から決められ、連日作戦を練り上げます。
「押し隊」「引き隊」「太鼓隊」「わさ係」の4つの役割隊があります。太鼓は1番太鼓から
10番太鼓まであり、綱を引くタイミングなど重要です。中でも1番太鼓は花形の部署です。
「わさ係」は綱の尻尾が丸くなっており、これを真中のダン木に掛けるものです。これ以上
相手に引かれず、態勢を整えるものです。綱引きの起源は古く、豊臣秀吉の命で島津が
朝鮮出兵の頃、武士の戦意鼓舞を狙ったものとか、島津義弘以下一万人出兵が長引いて
侍の少なくなった藩は財政貧窮、規律乱れ、留守を預かる家老は、青少年の訓練教育を
定めた。これが郷中教育であり、その中に8月15日の十五夜に二才「にせ」が監督、稚児
一同綱引きを・・」とあり、今日まで続いている。川内のもこれに起源するのではないかと
どちらにしても、400年以上の歴史で、1999年に400回記念をしているから今年は405回目
2004年9月22日取材



綱は国道3号線を通行止めにする。365m夕方準備中
午後7時からダンギ祭りがおこなわれる。縄の中央で
下方太鼓隊。 この年は県知事も参加。市長や議会からも
上方、押し隊登場。大将も。ハッピが着れて肩車乗れるのは三役だけ 市民綱引き
綱引きスタート。ごご8時過ぎ はじめ、あっという間に綱を引いて、綱の上で休憩中上方
巻き返そうと引き綱を付けるが、これがブツブツ切れる さらしを巻いて、勇壮な女子も・・
押し隊同士の小競り合い。戦傷の跡も・・ 一般市民も、見物人も、負けてる側は特に応援参加も


 

綱引きは一番太鼓によってスタートし、引き合ううちに片方にズルスズル引かれ、引かれた方は
綱のラストのわさをだん木に掛けます。この間に引き戻す作戦をたてます。相手の押し隊はわさを
外そうと攻撃しますが、守る方も押し隊が、これを阻みます。この年は下方がはじめ取られて、
約1時間後、引き戻し、そのまま、時間になり、下方が勝ちました。    2004.9.22


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