鹿  その29


 坊津町十五夜行事 (bounotu jyugoya)

坊津町  ぼうのつ 

南薩摩の十五夜行事は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。坊津には
独特の十五夜行事が保存、継承されて、集落毎に、それぞれ違った風変わりな伝承が
残っています。代表的なものには、5つのパターンが見られるようです。農村型ー栗野
清原地区。漁村「浜」型ー坊、久志地区。特殊型ー上之坊、鳥越地区。泊型。秋目型

十五夜の行事共通は、縁側や庭先に臼を出し、箕・みを置き、一升枡等に里芋・唐芋
お団子など、ススキや秋の草花を飾りお供えします。綱引きと相撲は南薩摩に限らず
薩摩全般で行われている、定番の十五夜行事です。土俵や綱引きに使う綱は、山や
原野から、茅やかずら、竹などを取ってきて「茅刈る・茅引き」、それで綱を練ります。


泊・とまり集落

泊集落では、十五夜の約2週間前から、まず八朔の日にすじまわりをして、十五夜行事のあることを町内に知らせて歩きます。
この集落では、女子による十五夜踊りがあります。また、その踊りに飛びこんで、踊りの輪を崩す踊りこわしも。以前は踊りも踊りこわしも、14日と15日にあったそうですが、現在は15日だけ。十五夜の午後3時頃から、公民館ー九玉神社まで踊りながら宮参りをし、境内でも、踊りを奉納します。暗くなってから、着物から浴衣に着替えて、広場で十五夜踊りを踊ります。この時男子が輪の中に飛びこみ、ワルさや、踊りの輪を駆け抜けます。少年少女だけになって、以前のように、気のある人に抱きついたり手を握ったりはなく、せいぜい踊りの小道具を持って行ったりするくらい。無礼講の男女交際認可のチャンスだったのでしょう。
左 すじまわり。筋廻り・辻廻り。男の子が地域の地名・十五夜等の書かれた灯篭を持って、大声で唄い和し、集落に行事のあるのをふれ回る。
右 すじ廻りの後、夜相撲。土俵は前日に弘法の井戸の横の広場に作る。
上3枚、右写真は宮参り行列。十五夜の昼間、公民館から九玉神社まで行進。16歳までの女子は、着物で白鉢巻に扇子とシベを持つ。男児は鉢巻、およびシベ傘を被る。踊りの女子、男児、青年団の順に行列。このとき、踊りの歌のうしろは、「おくめくどき」「十五夜唄」など唄いながら、神社に向う。神社では、神事のあと、十五夜踊りを奉納して解散。帰りは前もって奉納していた柱「帆柱」を青年団旗、男児、踊りの順で戻るそうだが、見ていると踊りはそれぞれ三々五々、自宅に向った様子。3時から2時間かからず終了。女子は浴衣に着替え7時頃、男子は夕方6.30からのすじまわりまで休憩。
暗くなる6.30頃から男子はすじまわりに出かけ、女子は7.00頃から浴衣で十五夜踊りをはじめる。興も乗った頃、すじまわりから帰ってきた男児たちは、石油缶を叩きながら、この踊りの輪の中に突っ込む。何度も行うようだが、この年は3回であっという間の出来事だった。デジカメでは、押えきれなかった。踊りも壊れない・・その後、ハンヤ踊りなどもあり、一般の人も参加。その間に女子は洋服に着替え、通りを飾っていた綱を外し、綱引きをする。集落の真中から九玉神社側と寺「本珠院」側。男対女。大人対子供等に分かれて、道路「国道226号線」で。
綱引きの終わった綱は、一度公民館のすじに引きずって入れて、また元に戻し、竜の尻尾の方と見たてた数mを切って、横の泊川に投げ入れる。綱引きのアトからの行為は「
綱引きずり」と言われる。


泊十五夜唄 すじまわりの唄

1.沖の双子瀬が手を組んだ裏に大漁の声がする    
2.水は流れる泊川いつもきれいにさらさらと        

7.宮ん崎から沖見れば 景色の良さは日本一      
8.泊の子どんは良か子どん あまって遊んで勉強する

10.十五夜様にダゴあげて おどいも踊って宮参り   
12.泊の姉さんたちゃ愛きょ良し色は黒いが良かおなご

ヨオーイ ヨオーイ ヨォイヤナ ハーレヤナ ヤートォコセ
泊の浜の青年よ盛んにやれよ十五夜を サゴエーイエーイ
泊十五夜唄 おくめくどっ「お久米 口説き」
宮参りの行列行進の際等に唄う。   

十五夜踊り 
1.しべ踊り      
  そんが節
  志布志千軒
2.扇子踊り
  おそめ
  四節節「しせっぶし」
3.手踊り
  潮来出島




上之坊




火とぼし 火点し
茅引きした茅で番茅を作り、その夜は途中の整列位置に運び下げ、上道の坂の中間点でひとぼしをする。これは、番茅を担ぐ中学生以上の青年。それ以下は火消し役。下に見える集落に、出来あがった合図を松明をくるくる回し、その後大声でも、下に知らせる。
火とぼしあと、番茅を帰路の整列から運ぶ。重量が100キロを超えるので、地域の全員で手分けして運ぶ。公民館の庭までの間、青年が口説き、子供はハヤシをする。公民館入口で止まって、名前を名乗ったのち、運び込む。
上之坊の十五夜行事は、火とぼしだけが有名になり、ほかの行事はあまり知られていません。ほかの集落と同じような口説き唄やハヤシ、茅引き、綱ねり、相撲、綱引きもあり、これ以外にも、ここだけの、ほかの変わった行事が残っています。いずれ取材してみたいと思います。 左写真は上坂の中間点・火とぼしの場所から上之坊集落を見下ろす。日が落ち、V字になった集落の明かりと、右山の上の灯台の明かりが・この直後火とぼしがスタート。




鳥越 とりごえ集落

鳥越の十五夜行事も、風変わりな行事が伝承されています。おもなものが、ふたつあり
ひとつは、「手つなっご」です。これは茅引きの最終日に行われ、男子のふんどし姿が
火とぼしの火に照らされ、勇壮かつユーモラスでもあり、満月の晩の幻想でもあります。
もうひとつが、手つなっごが済んだアト、行われる「どんとせ」です。現在は小学校正門
前で行われ、石階段に並んで見物できます。おしくらまんじゅう十五夜版でしょうか。

茅引きのあと松明持ち一人と、嫁女かつぎの先発隊が3組、時間を置いて、見せ場「集落の1キロ手前の川べりに到着。対岸や近くには見物人、カメラマンが待機。本隊の各人の松明も路肩の数ヶ所でまとめて燃やす。そこで口説きに合わせて十五夜唄を斉唱する。17−18歳は手をつないで左右に走る。唄の途中で真中で手を切り、左右に別れる。また手をつないで、7-8回繰り返す。 手つなっごが終わったら、公民館の庭まで茅を運んで積む。その後、行列を組んで十五夜唄を唄いながら小学校正門前に。どんとせのハヤシで青年は前に距離を離す。また、どんとせのハヤシで見物人の前まで、うしろ向きで戻り、ヤッホヤッホの掛け声で残っている青年とおしくら饅頭をする。また、前に行き、後向きに引き返す。時々フェイントで外し、見物人から笑いが出る。
左、ヘゴと茅で作られた嫁女・よめじょと呼ばれる。17−18歳が作る。茅引きの時、他の茅と一緒に公民館まで降ろす。

右 手つなっごを前から撮る。火とぼしの明かりで、幻想的。


 

行事場所の詳細地図=リンク ヤフー・マッピオン



坊津 ぼう地区


坊の一番奥 坊之浜集落の綱 同じ太さでない 下浜集落の綱
夜の綱引きのため、各集落の道路脇に寄せてある。車で1分もかからない歩いても数分で行ける
それぞれ集落が近い。それでも、別々の地域で別の綱で、綱引きをする。





長い間、先人から受け継がれてきた十五夜行事は、まだなんとか形になって残っているが、
少子化や、青年層の都会流失により、行事の簡素化や、行事の中止部分も出て来ているし
行事の変化のあるのも、紛れのない事実のようです。以前はもっと賑やかだった、人が少ないね
などの声もよく耳にしました。これも、時代の流れで、仕方がないと言えば言えますが・・・・
それでも、集落毎に公民館活動を通じて、伝承努力している有志の方々もおいでになるそうです。
この、坊津の十五夜行事、ほかの伝統祭りも、いつまでも引き継がれてゆくように祈念します。
                       取材・2004 9・14/19/24/25/28



坊津町史談会会員 輝津館館長 早水廣雄様から頂いた資料による            ・


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