鹿  その32


 枚聞神社ほぜ祭 (hirakikiginsya hoze) 

開聞町 かいもんちょう 

鹿児島では、秋祭りをほぜと呼ぶ。薩摩一の宮の枚聞神社の例大祭は、前夜祭・神幸祭を含め
3日間あり、毎年10月15日と16日は南薩地方の名祭礼として、参加者が近隣からたくさん集まる。

朱塗りの勅使殿 第二鳥居と社殿


神社の沿革
社伝には遠く神代の創祀と伝う。天照大神ほか八柱神を祭る。貞観二年三月、薩摩国従五位下と「三大実録」に掲載
ほかに、貞観十六年7月に開聞岳の大噴火など数度の記載あり。延喜式にも、薩摩国頴娃郡枚聞神社と記載があり。
薩摩の国の一の宮として、朝廷の尊崇厚く、島津氏入国後も崇敬絶大される。現在も薩摩の国の一の宮として崇敬。

神話、伝説、宝物など
竜宮伝説  山幸彦の釣り針騒動・この付近は海神豊玉彦命の宮地で、塩土翁の教えによって海神の宮に赴かれ、
その門前の井戸で豊玉姫に会い結婚した。神社の300m北に玉の井があり、日本最古の井戸と言われている。
天智天皇巡幸伝説   開聞岳麓の岩屋に仙人が行をしていたら1頭の鹿が現われ、法水を舐めたところ懐妊分娩
大宮姫と言われ、麗質世に聞こえ、2歳で上京藤原鎌足に養育され、13歳で宮中に召され天智天皇の后となる。
ほかの女后などに嫉まれ、伊勢の阿野津より船で山川牟瀬浜に上陸。其の後脇浦に再上陸。天皇は姫を慕って
薩摩に下向され、開聞の姫の所で余生を送られ、79歳で崩御されたと。        『開聞故事縁起』

神楽面  木製梨子地蒔絵  前夜祭の神舞

前夜祭神舞  稚児行列・神幸 大宮姫再上陸伝説地脇浦

 稚児も暑くて二の腕を出し 開聞岳の見える脇の広場で神事  その頃境内では、相撲大会も

                                              取材2004.10.14・16




成川神舞 (narikawa kanme) なりかわかんまい・かんめ

山川町・南方神社  やまかわ・みなみかたじんじゃ

成川の神舞はお諏訪さんと呼ばれている南方神社に伝わる神楽です。以前は国家・神社や氏子に
ことある時に神事を行いその最後に神舞を奉納されていたとのことですが、現在は3年に1回舞われます。

行事は2日間行われ、初日はグレと呼ばれ、氏子のいる地域を巡幸し、新築の家・家内安全商売繁盛
無病息災を願うとかのお家で、室内では女の子のネイメ、庭などで、男の子二人がキンネンタマ、
次に男ひとりの長刀、4人のミッキンジの4つの舞が舞われます。夕方は御旅所に到着します。
翌朝も御旅所から出発、グレ「廻巡行祭・浜下り」を行い、夕方に神舞舞台へ到着します。夜は
かがり火を焚いて遅くまで舞います。「夜神楽」
グレの行列 男の子ふたりのキンネンタマ ミッキジン

 田の神舞い  三人踏剣舞  十二人剣舞



 2004.11.28日取材                

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