山川町 尾下 おさがり osagari

怪獣イッシー、大ウナギで有名な池田湖にも、平家落人伝説があって当たり前、
ここには、いろんな伝説・民話などが残ってます。町の掲示板に落人集落尾下と
書かれていたので郷土史を見てみました。たしかに、平家落人伝説のあるところ、
と記載されています。図書館に居たその足で、現地にすぐに出かけてみました。
                                        


下の湖が池田湖、岸にハの字のいかだが浮かんでいる場所の上が尾下集落。右上コーナーがうなぎ池。道路はくねくねと、
右に行ったり、通りすぎて戻ったり。直接に集落に向って無い。垂直の岸壁があるのと、わざとか? 
 空撮写真提供山川町

尾下は池田湖の東側、観光客も行かない・集落があると思えない場所に小さな固まりで
ひっそりと佇んでいます。周囲15キロくらいの池田湖なので、どちらに動いても10分程で
行けそうですが、東側はすぐ高い崖になって、湖の回りからも辿り着けない場所です。
最近道路事情がよくなりましたが、それでも崖の上の高い道を回りこみ、登ったり降りたり
急な坂を下るとか、遠く、開聞町・山川町あるいは、指宿・山川とふたつの市町を経由して
辿り着く場所です。その道路も、歩くとなると、かなりの距離になります。正に陸の孤島とは
この場所でしょう。なんで、こんな不便な場所に・・と考えると、確かに平家落人の集落と
言われれば、そう思わざるを得ないところです。

尾下集落 真中左は池田湖 集落の向こうは棚田も広がる 下の田圃から集落を、少し木があって、その上は屏風のような岩の崖


先日、山川町の町議選があり、ある町議の選挙を手伝い、選挙カーの運転でこの集落に
来たことがあります。ある町議は前期期間中に何度もここを訪れ、町政活動の栞など持って
お年寄りなどと語ったそうです。過疎化はこんな所にも波及し、1軒の家にひとり平均の年寄
しかいない、数十軒の閉ざされた集落です。はじめは、胡散臭そうに警戒されていたのが、
何度か来ているうちに、集落の人達と馴染んで、自然とお年寄と解けこんでいったそうです。
選挙カーを運転して行くと角角に、名前を連呼しているのでやってきます。町議は車から降りて
ひとり一人と握手等しています。涙を流したり、足が悪いのに這うように出てくる人もいます。
運転してるとどう言う訳か、涙がぼろぼろ流れて、手ぬぐいで何度も何度も顔をぬぐいました。
たしかに、最近は涙腺がかなりゆるんでいるのも事実ですが、感涙をぬぐえませんでした。
この場所は私にとって何かあるのかもしれません。その時は落人集落とは知りませんでした。

後日台風の日訪れて部落の人と話して、すごく気に入った場所と言ったら、
「家を建てて、住んでみないか、週末の別荘でも良いし」と勧められました。

この突端を回り込んだ先に尾下集落はある

「平家伝説」とひとりのお婆さんに聞いたら、「ようですね・・」
具体的には分からない・。農作業していると、湖の向うから
モーターボートがやってきて、拡声器でここは平家落人集落です。
との案内が聞こえてくるから。観光客案内のボート屋さんに
聞いてみたら・との事。作業を終わり、くつろいでいた古老に。
2軒それを語っている人がいる。二人とも焼酎の飲み過ぎかで、
入院しているが、刀とかそんなものも、あるとかあったとか。
薩摩ほど厳しいところは、農民が刀などは、絶対持てない土地柄
のはずです。
また、ここにはたくさんの民俗行事が残されており、他の町内と
同じものでも、ここだけ変わったやり方とか、ここだけしか
ないものもあります。藩政時代に門割り制度があったが、
ここのは、もっと古い時代から呼ばれている、もと東の本戸
とかの呼び名が残っているようです。


鹿児島民具学会発行『鹿児島民具』14号に徳留秋輝氏が「落人の里の民俗」
として、纏めておられるので、抜粋。「合戦に敗れた平家一門は源氏の追討を
避けて、一族郎党を率い、人里離れた隔絶された山間部に落ち延びていったと
言われる。厳密に調査されたものはない。落人狩りで全国くまなく探索され、
子供に至るまで処刑されたと言われる。こんな中で平家とわかるようなものを
所持していたとは、思われない。この尾下の里の人々の伝承に、戦いに負けて
この地に落ちて来た。生存の姥は祖先が京都からこの地に落ちてきたと話した。
名主であった西岡さんは、平家の落人であると代々言い伝えられてきた。最近
まで、鎧が伝世したが、虫食いで処分したと。伝承によるとこの地に落ちてきた
のは、30家族くらいではなかろうか。はっきりと平家落人説を裏付ける証拠は
ないが、鹿児島にない風俗・風習・民具や宋の陶磁器があるのは事実である。
脱穀機のサアシが熊本・五木村にある同じ用途の民具と形がそっくりであること
葬制もまた、五木村と良く似ていると。五木村調査研究は米原正晃氏の指摘

伝世の刀「摺り上げもの」をある作家が鎌倉時代のものと鑑定、旅行記に執筆」。
結局、平家である確実な証拠は掴めててないが、ここは平家谷の雰囲気が漂っている場所だ。

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