鹿  その30


 妙音十二樂 (myouonjyunigaku) みょうおんじゅうにがく

吹上町  ふきあげちょう 

吹上町には、有名な伝統行事が3つ残っています。どれも、県の無形文化財に
指定されています。大汝牟遅神社の流鏑馬、伊作太鼓踊り、妙音十二樂です。

毎年10月12日に中島常楽院跡で妙音十二樂法要演奏会が行われます。
建久7(1196)年、京都常楽院第19住職宝山検校は、島津忠久初代に従い
薩摩に来たとされています。検校は吹上に常楽院を建て、島津の威徳高揚に
努め、琵琶を吟弾して仏法を広めた。このとき弾奏された琵琶が薩摩琵琶に
発展したといわれています。妙音十二樂は、かつて南九州の盲目の僧たちに
よって演奏されていましたが、現在は、常楽院で行われるだけになっています。

妙音十二樂は、琵琶・笛・太鼓・銅鑼・ほら貝などの8種の楽器で、「松風」「村雨」など
12曲を演奏するものです。間に般若心経読誦や演奏と同時に導師は釈文を唱えます。


一般観衆はパイプ椅子で、聞き入る 小学生も団体で2組。ひと組はバスで

 楽器琵琶ふたり、中央の導師が釈文を読誦している間、琵琶奏者は演奏を続ける。釈文は盲僧が琵琶を弾きながら唱えるもので、逸話や仏の教えが込められているものだそうです。釈文が長いので、合奏の曲の間に全部入りきらず琵琶だけで、その曲の釈文が終わるまで続けるものです。次の曲でまた、合奏が入り、釈文が唱えられ、また、琵琶だけの演奏で釈文が読み続けられます。
妙音十二樂が終わると、薩摩琵琶の奉納があり、それが終わると本堂から移り、墓前で供養演奏です。

左、直ぐ横の検校などの墓まで、演奏しながら行列して向う。
右、真中検校の墓、左歴代の住持、右側32代住持大光院の三基の前で演奏

薩摩藩の明治時代の廃仏毀釈は他藩と違い、物凄いものがあり、お寺はおろか、仏像関係、すべてぶち壊し、焼き討ちと、それまで1600ほどあった寺院・寺はことごとく壊された。例外はなく、名刹、藩主や領主の菩提寺であってもそうで、鹿児島には、寺院はひとつもなくなってしまった。この中島常楽院も廃仏毀釈の憂き目にあっている。





伊作太鼓踊 (izakutaikoodori) いざくたいこおどり


太鼓踊りも鹿児島各地に残っており、ここ吹上・伊作の太鼓踊りは、勇壮で攻撃的な様相を見せる踊。
応永13(1406)年、伊作島津4代久義が牟礼ヶ城を攻略したときに、考案された踊りと伝えられている。
背中に背負った矢旗は、竹で作られ、弾力性があり、くねくね動く。これは、軍杯の形で戦の采配を・・
同じく背中の長刀、頭の鳥の羽は、軍鶏・シャモ「薩摩名物喧嘩鳥」で、背中にノーゼンカズラを下げて
これも、草などに身を紛らわす術のためと、全て戦いのための軍相を、表したコスチュームだそうです。


南方神社の参道で
吹上・南方神社は、参道が長い。真中は中打ち。
神社参道で踊りひとつ。
太鼓は、叩いて音を出す。


神事を行い御払いを受ける。 境内で踊り披露


花笠をかぶった中打ちは、綺麗な衣装で、勇壮な太鼓とコントラストを見せている。 どこでもそうだが、一曲踊り終わると、背中のまくらを直したり、うちわで煽いだりしている。


伊作の太鼓踊りは6つの集落が替わりばんこに担当し、集落によってコスチュームや
踊りが、少しづつ違うそうです。2004年は中之里集落が披露しました。南方神社の
あとは、集落のあちこちで踊ります。2日間あり、翌日は町の主な場所で披露します。

 2004.8.28日取材                

行事場所の詳細地図=リンク ヤフー・マッピオン

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