斉藤美奈子 Saitou, Minako

斉藤美奈子『妊娠小説』筑摩書房・1994年
本書を読んでみて、いくつか気づいたことがある。
だけど、ふと思い出して永江朗の『批評の事情』にある斉藤美奈子の項を読むと、ほとんど同じことが書いてある。口惜しい。まぁ事前に『批評の〜』を読んでいたから、気づくことができたのかもしれないけど。うーん、他人が書いたこと(しかもプロが)を僕が繰り返すのもなぁ・・・。まぁ、仕方ない。僕なりに紹介(なにをいきなり言い訳してるんだか)。
本書は文芸批評というジャンルになるのだろう。
「妊娠」を素材として扱っている小説を取り上げて、真面目に分析(するふりを)し、分類して(ニヤリとできる)レッテルを貼り付ける。「妊娠小説」というのはようするに「望まない妊娠」−大概は男が−、が出てくる小説とされる。鴎外の『舞姫』に始まり、石原の『太陽の季節』、三島の『美徳のよろめき』などなど、名前は聞いたことのある(だけど僕は一冊も読んだことない)メジャーな小説ばかりが取り上げられる。「妊娠小説」が読者一般に受け入れられたジャンルであることを実証するためだそう。
本書は3章に大きくわけられる。「妊娠小説」の歴史、「妊娠小説」の構造、「妊娠小説」の類型。
その真面目で、なんだか笑える分析を通して、「妊娠小説」における男性、つまり「受胎告知」される男性のワンパターンぶりを笑い飛ばし、また、妊娠してしまう女性のステレオタイプぶりを笑い飛ばし、ひいてはそういった小説を書いている作家(ほとんどは男性)の貧相な女性観を笑い飛ばす。如何に、「妊娠小説」が「文学」における定番であるか、そして、如何に、似たような形式を持っているかを見ていくことで、「妊娠小説」を笑っていくのである。面白いです。でも僕は、この後の『紅一点論』の方がもっと笑えたのだけれど・・・それはまた別の話。
2001/10/5
斉藤美奈子『紅一点論』ビレッジセンター・1998年
「紅一点」という言葉はよく聞くけれど、もとは「萬緑叢中紅一点」という言葉だとはしらなんだ。もとは凡夫の中に俊才が一人という意味らしい。斉藤氏が言がうように僕らは「男の中に女がひとり」の意味でしか使ってない。そして、これはとりわけ、いわゆる「戦隊モノ」ではよく見る光景だ。本書はその特撮だけでなく、アニメや伝記の中のヒロイン、女性像を取り上げて論じていく。
そこでは今回も「笑い飛ばす」という方針が健在だ。
例えば、
「日本人の入浴コンプレックスは、低年齢者用のアニメをも支配しており、劇場公開版の『ドラえもん』では、しずかちゃんのヌードシーンが定番となっている。のび太はしずかちゃんの風呂をのぞくことに人生最大の生きがいを見いだしているとさえいえるほどである」
とか、「(註:『宇宙戦艦ヤマト』の)森雪の役目は明らかである。彼女は、ひとりだけ特別にベンチ入りを許された野球部の女子マネージャーである。彼女の役職名は『生活班長』だが、生活班長とは、体のいい下働き兼職場の花である。どうしても必要な人材ではないことは、画面を見るだに明らかだ」
みたいな調子である。
日本の伝記シリーズに登場する女性は、せいぜいナイチンゲールか、キュリー夫人か、ヘレン・ケラーで(表記がそれぞれ名前、夫の姓、フルネームだなんて気がつかなかったなぁ)、それもウソ・・・までは言わなくとも、彼女たちのほんの一面しか捉えていないという事実、まぁ物語上は仕方ないにせよ、も指摘される。伝記分析の項は、アニメ関係に比べると、笑えるというより「へぇー」と納得してしまう類の面白さだった。
あとがきの「萬緑叢中紅一点は、けっして健全な状況ではない。それじたいが不健全なのではなく、それだけが幅をきかせていることが不健全なのである」という言葉に「おお、名言だ」などと感じ入った次第。
2001/10/30

斉藤美奈子 『読者は踊る』 マガジンハウス・1998年
本書は書評と時評が混ざったような本で、筆者がテーマ毎にまとめて読んだ本を批評するというスタイル。テーマはその時に話題になっている本(死海文書や利己遺伝子も)を中心としているが、「聖書」があったり、「辞典」や毎年出ている『イミダス』や『現代用語の基礎知識』のような「情報事典」まで扱われていたりする。
基本的にはたくさんけなして、何冊かをほめるというスタイルだが、その視点は「踊る読者」ということにある。踊る読者というのは、まあ一般的な読者のことで、本好きで、ベストセラーは必ず読み、「現代社会を読むキーワード」みたいな言葉に惹かれるような小市民読者、つまりは知識を詰め込んで知ったかぶりをしたいような読者ということになる(笑)。まえがきにチェックリストがあって、これやってみるとまさしく私も「踊る読者」(笑)。ベストセラーは読まないけど、先に挙げた東浩紀の本なんて「知ったかぶりたい」だけのような気がしてくる。そもそも書評を読むって行為-書評で一気に数冊を読んだ気になる-ってのが、まさに踊ってるよね。
ともあれ、本書は面白い。「けなす」ことが多いわけだが、それが無理矢理な感じもなくて納得できる。図書館や古本屋で見かけたらぜひご一読あれ(もちろん買ってもいいよ 笑)。
2000/11/09
斉藤美奈子 『あほらし屋の鐘が鳴る』 朝日新聞社・1999年
エッセイ集。やけに書評が多いなぁと思っていたら、この人朝日新聞の書評委員なんですね。納得。
中身はというと、『UNO!』(朝日新聞社)というかつてあった雑誌に連載されていた女性向け雑誌批評、『pink』(マガジンハウス)に連載されたエッセイ(時評?)、朝日新聞夕刊の「ウォッチ文芸」をまとめたもの。基本的に女性向け雑誌に掲載されたエッセイのため、(本人曰く)「女性の読者とわかちあえる話題」が選ばれていて、特に『pink』掲載分は基本的に世の中のオヤジどもを揶揄するような内容になっています。取り上げられている話題は政治・経済・社会一般。『UNO!』掲載分の女性雑誌批評はそのままで、「non・no」や「an・an」に始まり、「暮らしの手帳」や「きょうの料理」まで幅広く女性向け雑誌が取り上げられ、おもしろおかしく批評されています。ここでオススメを挙げることに意味があるのかわかりませんが、特に「できたアイドル」「亡国五輪音頭」などが面白く読めました。
さて、本書のわけわかんないタイトルですが・・・あとがきを読んでね。カーン(笑)
2000/11/27
斉藤美奈子『モダンガール論』2000年・マガジンハウス
女性が自分自身の願望を果たす(出世する)ための二つの道、社長になるか(つまり家の外で働くか)、社長夫人になるか(家のなかで働くか)を揺れ動いてきた過程を、歴史的に見ていく本書(欲望史観!)。職業婦人と家庭婦人が、自由に選べる『選択肢』ではなく、「若いうちは働いて、あとは家庭に入る」という年齢的な棲み分けであったり、「無産階級は職業婦人、中産階級は家庭婦人」という階級的棲み分けだった、という話。しかし、女性が「性別役割分業社会」で、抑圧されてきたのだ!というわかりやすい(?)結論のみで終わるわけでもない。その枠組みの中で女性は自分の欲望を満たすために頑張ってきたのだ・・・というフォローもある。
女性誌を多く引用した論の展開が斉藤さんらしい。簡単でおもしろーいというわけにはさすがにいかないが、他の類似書に比べるとやっぱり読みやすい。女性史100年を知りたいという方は、まず手に取ってみてもいいかも。
ちょっと補足。
女性が、ある枠組み−ここでは基本的に女性が不利に置かれている「性別役割分業社会」−の中で頑張ってきた、ということを指摘したとしても(女性にとって)フォローにはならない、と思われる方もいるかもしれない(結局男に搾取されたんじゃないか!みたいな感じで)。
ここは、単純に過去を否定してもしょうがない(そう簡単にはいかない)という意味で、一定の評価を与えているということなのである。こうした(単純な)極論に簡単に走らない慎重さに私は好感をもつ。私はすーぐわかりやすい極論に陥ってしまうので(笑)。
2001/6/17

斉藤美奈子編『21世紀文学の創造7・男女という制度』岩波書店・2002年
文芸批評というのでしょうか。そのなかでも文学が抱える「男女」問題を取り上げるのが本巻。同じシリーズで筒井康隆が編集する『方法の冒険』ってのもちょっと読んだのだけどそちらは難しい。よくわからん。でも、こちらは面白い。やっぱり斉藤美奈子がいいのだ(笑)。
アンソロジー。まず斉藤さん自身が序文でフェミニズム批評の歴史を簡単に振り返る。で川上弘美の恋愛体質論、大塚ひかりのブス論、佐々木由香のネカマ(ネットオカマ)論(というか報告と分析)などが続いていく。だけど後半になるほどつまらなくなる感が・・・。
作家の多くが男性で、それならそこでの女性観ってのもやっぱり男性的なのは仕方ないわけで、そうしたある意味偏った女性観が再生産されていくってのもあるだろう。まぁ男性の女性観が偏っていて、女性の女性観が偏っていないってのも言いきれないだろうけど。
そういえば林真理子さんが『紅一点主義』っての出すらしい。たくさんの男の中に女一人ってのがいいみたいな宣伝文句だったんだけど、「そら、あんた作家先生だからねぇ。大事にされるだろ」って感じでなんかガックリきちゃった。ま、どうでもいいけど(読む気はしないね)。
2002/2/2

・発行年等は手許にある本の表記に従ってあります。
もどる
Copyright (C) 2001-2002 Denno-uma Valid HTML 4.01!