森岡正博『宗教なき時代を生きるために』1996年・法蔵館 |
宗教を信じる(あるいは好意的である)友人たちと宗教を信じない(どころか悪意さえ感じている)私が、議論、対話するために、どのような本を読めばいいか、そう恩師に問うたことが、本書を手にするきっかけとなった。 もちろん、本書はマニュアル本の類ではない(そう取れないこともないが)。だから、結局私が宗教とどう向かい合うかということを自分で考えるしかない。 世界とは何か、自分(人生)とは何か、などと問う場合に必要なこととして森岡氏は次の四つをあげる(電脳馬要約)。 1.絶対の真理は誰によっても語られず、今後も語られることはない、という感覚に忠実になる。答えが出なくとも繰り返し問い続ける。 2.死後の世界、絶対者や超越者、神の存在などについて断定的に語らない。 3.世界と宇宙の成り立ちについて断定的態度をとらない。 4.これら根本的な事柄について、他人の言葉や思考にみずからを重ねない。 1などは、私にとって自明であったりするのだが、そのくせ(1の立場なら、もちろん2〜4の方法もとっていそうなものなのに)、私は2〜4とは真逆の、傲慢で断定的な態度をとり続けているような気がする。 出来事や説、意見に対して、如何に謙虚でいられるかが、近年の私にとっての問題であるが、やっぱりすぐ調子に乗るし、他人(の言っていること)をバカにしたがるし、偉ぶった態度を取ってしまう。おそらくその辺りを見かねた恩師が本書を薦めてくれたに違いない。また、最後に取り上げられるフェミニズムの問題。これもおそらく恩師は射程に入れていたのではないか、と思われてならない(「そんなことまで考えてないよ」とか言われそう 笑)。本書読了後、後輩(女性)から突きつけられた「エセフェミニスト問題」(と、とりあえずここでは呼んでおこう)とも絡んで、ひどく私を悩ませた。が、まぁ自分にできることをただやるだけだ、と開き直ることにした。今はこれでいい気がしている。 ちょっと自分の話にそれてしまった。ただ、本書がなぜ、いろいろと考えさせるかといえば、おそらく森岡氏と似たような問題をかつて私自身が抱えていたからだろうし、今も一部を引きずっているからだろう。 しかし、本書は少しばかり、森岡氏自身の問題が表に出過ぎているようにも感じた(意図的ではあろうが)。その辺が少々痛々しい。それが我慢できる、あるいはそもそも我慢する必要のない人にとっては、同意できるできないに関わらず面白く読めるだろう。 2001/8/13 |
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