仙巌園 曲水の宴のはじまり


 仙巌園の曲水の宴は、1992(平成4)年から実施しており、今年1998(平成10)年で第6回を迎えました。

 仙巌園には、第21代島津吉貴(よしたか)の時代に作られたと推測される曲水の庭があり、

 1959(昭和34)年に完全な姿で発掘されました。

 規模の大きさは、世界一とも評され、各界から注目を集めています。

 そこで、この素晴らしい曲水の庭の価値を、もっと多くの皆様に知っていただくために、

 何とか古来の曲水の宴を復興できないものかと考え、往時の華やかな儀礼をしのぶことを目的として

 開催しております。

 


仙巌園 曲水の宴の特徴


 仙巌園の曲水の宴の特徴は、島津家が江戸時代には薩摩藩主であったことから、毎年旧大名家から二家、

 参宴をいただいております。

 披講者には、宮中歌会始でもご存じの、霞会館(かすみかいかん)披講(ひこう)会より、和歌の披講に

 お越しいただいております。

 また、仙巌園の曲水の庭が中国の「蘭亭(らんてい)」によく似ているということや古くから中国との交流が

 盛んであったことなどから、毎年中国大使館より大使や参事官をお招きしています。

 


衣装について


 仙巌園の特徴の一つに、衣装があります。現在全国各地で催されている曲水の宴は、平安の雅を再現する

 として、男性は束帯(そくたい)や狩衣(かりぎぬ)姿、女性は十二単(ひとえ)姿が主流です。

 しかし、島津家が武家であったことから、江戸時代に侍従三位以上の武士の礼装であった直垂(ひたたれ)を

 採用しています。また、女性は江戸時代の着物の小袖(こそで)の上に、武家の婦人の礼装のひとつである

 打ち掛け(五衣 いつつぎぬ)を付けています。

 また、宴のお手伝いをしてくれる童児(どうじ)は、昔の子供の装束としても用いられた水干(すいかん)姿で

 白丁(はくちょう)は白装束(しろしょうぞく)にわらじ姿で宴に参加しています。

 


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