こどものページ用

 こんにちは。このページでは、曲水の宴(きょくすいのえん)に遊びに来てくれた、
 おともだちの「ゆうこちゃん」のしつもんにおこたえします。

 

 曲水の宴(きょくすいのえん)ってどこでやっていたの?



 曲水の宴(きょくすいのえん)というのは、むかし中国(ちゅうごく)でおこなわれていたのです。
 それが平安時代(へいあんじだい)のころに日本(にほん)でもおこなわれるようになったんだよ。

 

 曲水の宴(きょくすいのえん)ってどんなことするの?



 曲水の宴(きょくすいのえん)というのは、まがりくねったながれの上流(じょうりゅう)から、
 杯(さかづき)をながして、その杯が自分(じぶん)のまえにたどりつくまでに、和歌(わか)を
 よむというあそびなんだ。
    歌(うた)の題(だい)は、その日に発表(はっぴょう)されるから、その題の言葉(ことば)を
    つかって歌をかんがえるだよ。

 

 曲水の宴(きょくすいのえん)ってどんなところでするの?



 この曲水の宴(きょくすいのえん)をするための庭(にわ)を曲水の庭(きょくすいのにわ)
 というんだ。
 鹿児島(かごしま)の仙巌園(せんがんえん)にある曲水の庭は江戸(えど)時代(じだい)に
 つくられた庭で、いまでも、そのまま残って(のこって)いるんだ。
     つまり、300年くらいまえにつくられたお庭(にわ)ということだよね。
     島津家(しまづけ)と中国(ちゅうごく)はむかしから交流(こうりゅう)があったので、
     中国の曲水の庭(きょくすいのにわ)のことをいろいろとしらべながらつくったんだろうね。

 

 曲水の宴にさんかする人ってどんな人がいるの?



 いま、仙巌園(せんがんえん)でおこなわれている曲水の宴(きょくすいのえん)には、
 江戸時代(えどじだい)の全国(ぜんこく)の大名(だいみょう)のしそんのかたがたや、
 鹿児島県内(かごしまけんない)で書道(しょどう)や和歌(わか)をやっている人などが
 参加(さんか)しています。歌(うた)をよむ人たちは、江戸時代の衣装(いしょう)をきています。
     男のひとがきているのは直垂(ひたたれ)、女のひとがきているのは、小袖五衣(こそでいつつぎぬ)
     というんだ。

 

 曲水の宴(きょくすいのえん)でお手伝(てつだ)いしているこどもはだれ?




 曲水の宴(きょくすいのえん)では、鹿児島市内(かごしましない)の小学三・四年生のお友たち、
 中学生のお友たちにもてつだってもらっているんだよ。
 小学生のお友たちのことを「童児(どうじ)」、中学生のお友だちのことを「白丁(はくちょう)」といいます。
 「童児」は、うたのだいをくばったり、うたをあつめたりするやくなんだ。
     童児は水干(すいかん)というむかしの子どもの衣装(いしょう)をきています。
     「白丁」は、杯(さかづき)がうまくながれるようにてつだったり、杯をうたをよむひとたちにくばったり
     するやくなんだ。白丁は白装束(しろしょうぞく)にわらじをはいています。

 

 そうか、じゃあわたしやお兄ちゃんも小学生や中学生になったらできるかな?
 どんなふうにしたら選んでもらえるの?

 

 毎年(まいとし)お正月(しょうがつ)をすぎたころ、新聞(しんぶん)でやってみたい人を集めます。
 その新聞をみて、応募(おうぼ)してね。


 いっぱいいろんな話をありがとうございました。

 

 いえいえ、こちらこそありがとうございました。
 また、来年(らいねん)もあそびにきてね。
 まっています。

 

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