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下里公民館の庚申塔(高さ68cm)建立年不明
台石は新しいコンクリート製です。一番下に3匹の猿が、その隣に2匹の鶏(にわとり)が彫られています。左右に2人子供がみえます。持ち物は、弓らしいもの以外はよくわかりません。まるい光背(こうはい)を彫り両側の空に日輪月輪(にちりんつきりん)がみえます。邪鬼を踏みつけているようにも見えます。舟形の浮き彫りですが、彫りが浅く移動が重なったのか、凸部が壊れ、はっきりしなくなりました。像を入念に見ても文字は刻まれていないですが、江戸時代のものでしょう。


丈六の庚申塔1(高さ50cm)建立年不明
舟の形をした浮き彫りでかなり細かく刻んでいます。
3匹の猿がはっきり見え、その下の模様ははっきりしないです。青面金剛像(せいめんこんごうぞう)の脚部は浮いているように見えます。焔髪(ほのうがみ)で顔はつぶれていますが、怒っているのようすが表れています。6臂で剣、鉾(ぼう)、弓矢などを持っています。文字は彫られていないようです。像の状態から江戸時代のものと思われます。


丈六の庚申塔2(高さ55cm)建立年不明
方柱の前面に、文政2年巳卯十二月一日、真中に庚申塔○一体二歳中○願建立地とあります。当時の人々が、何かの願いを込めて庚申塔を建てたものと思われます。また、笠は石祠の屋根のようで、不自然に見えます。笠方柱は本県にはないと聞くので、屋根は別のものをのせてあるのかも知れません。アッカドンをはさんで建つ2号青面金剛像の近くあって、2つは同体かも知れないです。この方柱の上に近くの2号の青面金剛像が捉えられていたものと考えられます。


小田の庚申塔(高さ190cm) 建立年:延宝3年(1675年)
台石はセメントで埋められています。塔柱に4面ともぎっしり刻み字がありますが、摩減して読めないところがあります。がん部には六体の地蔵尊が彫られています。蓮華座と光背がある立像です。傷があり、印相、持ち物がはっきりしない尊もあります。大円寺や古い墓地の入口に建てられたものです。塔柱の刻み文字の中に「年中六度の庚申の日に、衆が会して三尸虫を退けることを願った」とあり、庚申供養塔として語り継がれています。六地蔵と習合して庚申供養がなされたものと思われます。


柳田の庚申塔(高さ65cm) 建立年:享和2年(1802年)
高い台石の正面に享和2年、柳田郷中二歳六月十五日とあります。舟の形の浮き彫りで、造りは大きく大ざっぱに見えます。一番下の部分に大きめの3匹の猿を彫っています。一部傷があります。6臂で、弓、矢、鉾(ぼう)、剣などの持ち物が見えます。顔が壊れて表情はわかりませんが、焔髪です。日輪か、光背かはよくわかりませんが彫りがあります。凸部が壊れ落ち正確に見えないですが、像全体の表情はよくわかります。厚みのある大型の像で台石が高いです。


十町 敷領の庚申塔(高さ65cm) 建立年:弘化4年(1847年)
台石が3段で高く、不安定です。三段目の台石が壊れています。青面金剛像が落下し、上の部分が壊れているため、現在は隅に取り外されています。方柱の正面に弘化四年、庚申、二月吉日と深く刻まれています。舟の形の浮き彫りで、彫りが浅く、摩滅もひどいです。壊れ落ちた頭部を見ると焔髪です。となりには、明和元年(1764年)に立てられた方柱塔があります。


南十町の庚申塔(高さ56cm) 建立年:明治41年(1908年)
二段目の方柱前面に明治四十年旧二月甘日と鮮やかに彫られています。三段目は蓮華座となっています。舟の形の浮き彫りで、新しい建立らしく着衣に細かな刻みが残っています。しかし、深い彫りで凸部が壊れているので、持ち物がはっきりしません。焔髪です、顔の表情はやわらかいです。二人の子供らしものが見えますが、一部傷ついたりしています。おそらく猿ですが、下の部分に見えるのが壊れ落ちてはっきりしないです。


道下の庚申塔(高さ67cm) 建立年:大正3年(1914年)
舟の形の浮き彫りで、どっしりした大型の石像です。山川石が風化し白っぽく光っています。焔髪の頭と顔がよく残っています。割合優しい表情に見えます。二臂でとても珍しいです。一番下に三猿がやっとわかります。山川石でも、とても柔らかい石材のようです。台石の正面に奉寄進、左面に道下郷民一同、裏に発起人一同十名の氏名があります。右側には大正三年一月十八日桜島の墳火(ふんか)当時と刻字が墨を入れてあるのではっきり見えます。


道下東公民館の庚申塔(高さ65cm)建立年不明
丸い台石に浮き彫りの像がのせられていますが、真ん中で二つに割れ、傾いていて不安定です。彫りは深いですが荒い造りです。顔の表情はよくわかりませんが、焔髪です。六臂でしょうが、かすかに鉾(ほこ)や剣(けん)らしいものが読み取れます。脚部もはっきりしませんが、邪鬼か二鶏でしょうか。下には三猿がかすかに読み取れます。痛みがひどく、セメント等で補修してあります。


大当の庚申塔(高さ60cm)建立年不明
舟の形の浮き彫りですが、上部が壊れているのが残念です。顔半分の表情に怖さが残ります。とても荒い彫りで、細かくはよくわかりません。六臂でしょうか弓や鉾(ほこ)らしいものが見えます。足元の両側に二鶏らしいものが見えます。下部に三猿が彫られていますが向かって右が一部壊れています。風化が進んでいます。刻字は見えませんが、かなり古いものと思われます。


道上の庚申塔(高さ65cm)建立年不明
台石は2段でありますが、上段は横になってバランスが悪いです。縦に建っていて、この上に青面金剛像(せいめんこんごうぞう)があったものと思います。庚申らしい刻字も見えますが、他の刻字と同様、風化もひどく判読できません。青面金剛像は舟の形の浮き彫りであります。焔髪で恐ろしい顔の表情が読み取れます。六臂で傷がひどいですが鉾(ほこ)、弓、矢らしいものが見えます。下部に三猿、二鶏らしきものも見えます。彫りが深く、どっしりした像でありますが、傷が大きいです。珍しく着色があります。台石が二段でしかも高く、像も大きかったので不安定で、何回も落ちて一部壊れたのでしょう。江戸期の古いものと思われます。


水迫の庚申塔(高さ41cm) 建立年:明和7年(1770年)
台石の上に25cm角の方柱塔がのっています。正面にかすかに庚申供養の刻字が読み取れます。彫りが浅かったのでしょうか、摩滅寸前(まめつすんぜん)ですがようやく判読できます。左面に明和七年庚寅二月九日と読める刻字があります。右面にも刻字が見えますがよくわかりません。


久保の庚申塔(高さ70cm) 建立年:宝暦7年(1757年)
台石の下段は50cm、高さ33cmのどっしりとしていておちついているもので、2段目は蓮華座で、その上に舟の形の浮き彫りの地蔵菩薩像が建っています。
彫りが深く、傷もあまりなく、きれいに残されています。右手に立派な錫杖を持ち、左手に宝珠を持つ、優しい表情の仏像です。正面上に奉寄進、向かって右に庚申供養地蔵菩薩、左に宝歴七年丁丑正月吉日と刻字がはっきり残っています。


新西方 渡瀬の庚申塔1(高さ48cm)
正面に不動明王、釈迦牟尼佛、摩利支尊天、文殊師利菩薩、青面金剛像の5体の仏の名が刻まれています。左側面に天文十四年乙巳十一月吉日、孝子、敬白とある。右側面と裏面に墨字が見えますが、もう読み取れません。説明文によりますと、摩利支天を本尊とする庚申塔とされています。中世の庚申塔でこの頃すでに庚申さまを祀っていたのです。青面金剛像(せいめんこんごうぞう)の出現は約100年後江戸の中頃といわれています。「孝子」という人が建立したのでしょうか。とても古い庚申塔(こうしんとう)で貴重なものです。台石の後部と、板碑の先端が少し壊れていますが、きれいに残されています。


新西方 渡瀬の庚申塔2(100cm) 建立年:天文14年(1545年)
台石の正面に渡瀬門、西元屋敷、川畑屋敷、山沢屋敷、吉山門、二才中とあります。門の二才の人達が造ったことがわかります。石祠の正面に明和七庚申とあり、供養の刻字もあり、庚申とあります。
明和七年は庚寅の年だから、おそらく6回くる庚申の日に奉献したものでしょう。くりぬいた奥の正面に青面金剛と彫られています。


新西方 渡瀬の庚申塔3(58cm) 建立年:明和7年(1770年)
正面に庚申供養、天明四甲辰と彫られています。台石の三段目は蓮華座で、その上に青面金剛像がのっています。焔髪で顔はつぶれています。六臂で右手に鉾(ほこ)と矢、左手に弓と輪宝のようなものを持っています。足元に猿と思われる3体の像が表現されていますが、邪鬼を踏みつけているようにも見えます。


細田東の庚申塔(高さ50cm) 建立年:万延2年(1861年)
三段目の土台の正面に「萬延二年辛酉正月吉日、奉寄進、庚申供養、新西方村細田小路二才中」と刻まれています。四段目は蓮華座で、舟形の浮き彫りで青面金剛像が表現されています。焔髪で、六臂、弓、矢などを持っています。両足にヘビをからませている姿が表現されています。


永吉の庚申塔(高さ70cm) 建立年:寛延2年(1749年)?
方柱の正面に「寛延二年、奉造立□□中正月吉日」と刻まれています。「寛延」は「寛政」とも読めますが、はっきりとはわかりません。焔髪ですが像が欠けています。風化しており、六臂で、弓、矢などがようやくわかる程度です。両側に二羽のにわとり、下のほうに3体の猿が表現されています。


玉利の庚申塔(高さ74cm) 建立年:文化10年(1831年)
幅のある舟形の石に青面金剛像が彫られています。焔髪で、顔はつぶれていますが、怒りの表情がみてとれます。大きく目をむいた邪鬼を踏みつけていて、その下には3体の猿と、外側には一対のにわとりが彫られています。近くにある方柱に「奉寄進 文化十年葵酉正月二十日」と刻まれています。


尾掛の庚申塔(高さ70cm)建立年不明
舟形の石に青面金剛像が彫られていますが、顔から上が欠けています。手には弓と矢を持ち、にわとりの一部と二童子が表現されています。