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岩本麓上の田の神(高さ143cm)
小さな台石に大型の石像がのせられています。髪を垂らした様な大きなシキをかぶっています。長そでの上着で、ヒダの深い長袴をはいています。両手で大きなメシゲを持っています。風呂敷(ふろしき)のような大きなツト(膨らみがない)を背負い、そのひもが前に刻まれています。大型の石像で、ウリザネ型の顔をじっと見ていると女の姿にみえてきます。胴で割れたらしく修理の跡があります。


瀬崎の田の神(向って右、高さ80cm)
シキが短めでツトを背負っています。顔の表情は自然のままにみえます。短い上着で、はかまのひもがみえます。右手の指に深い穴があけられて何かを持たせたのかも知れません。台石には深いタテの模様に刻みがみえます。

瀬崎の田の神(向って左、高さ75cm)
シキが髪みたいに長く垂れています。夫婦田の神としたら女の田の神でしょうか。裁着袴で足まで細かく刻んでありますが、残念ながら表情は読み取れません。右手の指部分に深い穴が残ります。



下門の田の神(高さ59cm)
シキは帽子にもみえ丸く高いです。長そでの上着のようなものをつけています。ヒダのあるはかまで後ろに腰板、前にひもが見えます。
丸い小さいツトを背負い、左手にはスリコギかメシゲを持っています。右手から顔にかけて壊れ、表情が読めません。両足が可愛く掘られ、足の指まで細かく表現されています。腰掛像(こしかけぞう)で、刻名はありません。



堀切園の田の神(高さ71cm)
長い髪をカールしたような格好の良いシキをかぶります。長そでのカッパのような上着をつけ、ヒダのない短い裁着袴をはいています。大きくふくれたツトを右肩から背負っています。足を丈夫に彫った腰掛像(こしかけぞう)です。顔は補修されています。両手とも一部が壊れ、風化も進んでいますが、セメントで台座が作られ、石像は固定されています。



石嶺の田の神(高さ67cm)
うすく小さいシキを頭から頬(ほお)にかけてかぶっているみたいに見えます。長そでの上着にヒダの深い短いはかまをはいています。小さい台に腰掛けています。
足を丈夫に造り、足指を細かく彫ってあります。腰掛けと足の間をくりぬいた作り方は珍しいです。ツトを左肩から背負っています。両手に持ち物はなく丸い小さな深い穴を空けてあります。苞や幣を持たせたのかも知れません。顔は、像の大きさに比べて大きく彫られ丸顔です。



仮屋の田の神(高さ107cm)
大きく丸いシキをかぶります。長い袖(そで)が垂れた上着に、ヒダの深い長袴をはき、足が見えません。後ろにはかまの腰板がはっきり刻まれ、ツトはありません。右手にメシゲ、左手にお椀を持ち、それを重ねています。鼻や口が薄(うす)く残り、人のよさそうな坊さんに思えます。静かな話し方で真剣に仏の教えを聞かせているようです。石像が大きく安定感があり、よく整った旅像型立像と思われます。市内の石像で、最も優(すぐ)れた型と評価を受けています。



大迫の田の神(高さ95cm)
丸くて大きなシキをかぶっています。シキの周りが壊れています。袂(たもと)の長い広い袖(そで)の上着にヒダのあるはかまをはいています。背後にツトと大きなメシゲがあります。メシゲが大型で背負っているのは珍しいです。
顔はでこぼこになり、よくさわられたようです。優しい、暖かい表情がよみとれます。全体として大形で、よく整った石像です。台石に「田の神」建立者、建立日などのほりこまれた印があります。大迫地区の墓石業故田中八之助氏の製作といわれます。
腰掛像(こしかけぞう)で両手をヒザに置いています。



新永吉(中須)の田の神1(高さ57cm)
シキは細長く、傘をかぶったように見えます。一部壊れています。
袖(そで)の短い上着で脚(あし)丸出しの短い下着をつけています。足の先まで細かい細工をしています。右手にメシゲを持ち、右肩からツトを背負っています。顔が平べったく、豊かな耳が残り、目、鼻、口もはっきりしています。アゴがでて面白く見えます。



新永吉(中須)の田の神2(高さ57cm)
髪のように横に流れた格好の良いシキをかぶっています。袂(たもと)の長い袖(そで)の上着で衿(えり)を前で合わせています。後ろにヒダがある短いはかまをはき、前にその結び目が彫られています。
両手先が壊れ、持ち物がはっきりしていません。
肘(ひじ)を膝(ひざ)の上に置いた腰掛け像です。足のすねが丸出しで指まで彫ってあります。結び目の深いツトを背負っています。丸顔で顎(あご)が可愛らしいです。鼻がつぶれているが、眉毛には墨(すみ)で書かれた跡が残ります。
 宝暦年間の作だが、年号の刻銘(こくめい)が判読できません。



新永吉(中須)の田の神3(高さ51cm)
昔から上が壊れています。長い袖(そで)の上着にヒダの深い長袴をはいています。前に袴紐の結び目、後ろに大きな腰板が見えます。両足が、長袴からちょこんと可愛らしく出ています。右手にメシゲ、左手に椀、それを重ねて持っています。左肩からツトを背負った腰掛け(こしかけ)型像です。頭部が壊れているのが残念ですが、しっかりした造りの石像です。



中小路(原田)の田の神(高さ65cm)
薄め(うすめ)の丸いシキをかぶっています。両手が壊(こわ)れて持ち物がわかりません。ズボンのようなはかまをはき前に結び目があり、うしろに腰板様の彫りもみえます。顔がつぶれて風化がひどいです。刻銘(こくめい)はないですが、ずいぶん古いものと思われます。石に寄りかかった腰掛型(こしかけがた)に見えますが、旅僧型(たびそうがた)の立像かも知れません。荒い造りの手洗鉢2個が石像の前においてあります。



南迫田(迫田前)の田の神(高さ70cm)
長いシキをアミダにかぶっています。裁着袴(さいつけはかま)をはき、その紐が前後に彫ってあります。頭陀袋(ずたぶくろ)のようなものが胸にみえます。足を交互にだした旅像型(たびぞうがた)にみえる立像です。顔も含めて傷がひどいですが、台石の前に刻銘(こくめい)があります。シキをアミダにかぶり庶民的(しょみんてき)でおもしろい石像です。



柳田公民館の田の神(高さ66cm)
体の半分以上の大きなシキをかぶっています。幅広いはかまをはき、そでなしの半天様(はんてんよう)の上着を着ています。右手はメシゲを持っていますが、柄が壊(こわ)れています。左手は完全に壊れて持ち物がわかりません。顔がつぶれていますが、アゴが長く髭をはやした翁風に見えます。脚が短くバランスがよくないです。腰掛像(こしかけぞう)と考えられます。



牟田砂入の田の神(高さ78cm)
シキがうすく、後ろのほうがとがり小さいです。右手にメシゲ、左にご飯を盛ったお椀を持っています。長そでの袂(たもと)をタスキで結わえています。ヒダ入りの裁着袴(さいつけはかま)をはき、その結びひもが彫られています。
平べったい顔で、可愛い口だけ残っています。耳が割合大きく、ふくっらとした庶民(しょみん)の顔が感じられます。新しい石像ですが、顔以外はよい状態で残っています。足の指までていねいに彫ってあります。田の神舞を踊っているように見えますし、今にも田んぼに入って田植えをしているようにも見えます。



玉利の田の神(高さ63cm)
うすくて大きなシキ被り(かぶ)の石像です。 袖長(そでなが)で袂(たもと)の長い上着を着て、はかまをはいています。衿(えり)の線にも見えますが、首から紐様のものがかけられ、頭陀袋をかけていたようにもみえます。両手が壊(こわ)れて、持ち物がわかりません。丸くて小さい顔はほとんどつぶれていますが、やわらかい、優しい表情にみえます。左手をひざについて、上半身を左に乗りだし、通りがかりの人達に話しかけているようにみえてきます。座っている像と思われ市内では珍しいです。風化が進み、その都度修理されています。年号の刻んだ印はないですが、とても古いものと思われます。荒い造りの灯籠(とーろー)が近くにあります。



二月田の田の神(高さ62cm)
少し薄めの小さいシキをかぶっています。裁着袴(さいつけはかま)をはいています。後ろにひもが彫られ、前のひもは垂らしています。右肩を少し上げ右足を踏み出している様にみえますが、腰掛像(こしかけぞう)と思われます。右手にメシゲを持っていますが、今は左手と同じく壊(こわ)れて持ち物がわかりません。首のところで割れていますが、バランスのよい石像です。顔面もつぶれていますが、自然な表情がわかります。市内の刻銘(こくめい)のある石像では一番古いですが、よい型で残っています。台石の正面と右面に刻んだ印と一部墨字(すみじ)がみえますが、はっきりしなくなりました。



二月田(大坪尻)の田の神

向かって右(高さ62cm)
長く垂れ下がったシキ被りですが、石像全体が半浮彫りにもみえます。タテジマの長い袴をはき、足がみえないです。上着は半袖です。両手を合わせて、椀か宝珠みたいなものを持っています。顔はつぶれています。アゴの部分が壊れていますが、頬がふくらみ、自然な感じが残ります。品のよい立像です。

向かって左(高さ15cm)
上半身が一部壊(こわ)れています。裁着袴をはいた少し小さめの田の神石像です。並んでいるので夫婦像かも知れないですが、誰も知る人はいません。足を交互に踏みだしています。



宮(霜月田)の田の神(高さ84cm)
厚く丸い、きれいな曲線のシキをかぶっています。右手はメシゲ、左手に神鈴(しんりん)を持つ珍しい石像です。長そでの上着にはかまばきの立像です。衿(えり)がしっかり合わせられ、はかまのひもがまわされ前で結ばれています。タスキがかけられています。丸顔で真剣な表情がよみとれます。若い石像でバランスがよく細かに入念に造られた石像で保存状態がよいです。 神舞型の石像で一生懸命、舞っている姿がみえます。



木ノ下の田の神(高さ85cm)
小さくて、薄いシキかぶりで鳥打ち帽(とりうちぼう)にもみえます。右手はメシゲを持ち、左手はお椀様なものをもっています。半袖の上着で、首から頭陀袋をかけているようにもみえます。ふくれた裁着袴をはき、後ろにタスキがみえ前にははかまのひもがみえます。顔が小さくほとんどつぶれています。神舞を踊っているのでしょうか。田植えの姿にもみえてきます。近くに水神(すいじん)が並んでいます。



中福良の田の神1(高さ57cm)
頭部と手を失った田の神石像です。他の部分も風化がひどいです。幅の広いはかまをつけていますが、上着はよくわかりません。メシゲ様のものをもってきているようにもとれます。重要な顔の部分がないので、多くを語ってはくれません。



中福良の田の神2(高さ113cm)
上品なシキを被った大型の石像です。長そでの広い上着をつけ、ヒダのある長袴(ながはかま)をはき足が隠れてみえません。立像でボリュームがあります。背には大きなツトを背負っていて、その下に袴の腰板(こしいた)をはっきり彫っています。袖からでた手は壊(こわ)れ持ち物はわからないです。
 



中川公民館の田の神(高さ59cm)
小さく薄い帽子風にもみえるシキをかぶっています。長そでの丸首様の上着をつけ、ズボン様の下着をつけています。両手が壊れ、持ち物はわからないです。腰掛像(こしかけがた)で垂らした左足も一部壊(こわ)れています。小さい丸顔が可愛いです。目、鼻はつぶれています。ちょこんと腰掛脚(こしかけあし)を振っているあどけない女の子の風情がみえます。台石の正面に作った時期が彫られ、他の面に中川郷中の氏名がきれいな字で残ってます。
 



渡瀬公民館の田の神1 向かって右(高さ35ccm)
上半身だけの石像で珍しいです。下半身は最初からなかったのでしょうか。全体的に型が壊(こわ)れています。右手でメシゲを持っている感じがします。顔もつぶれ表情もわからないです。垂れるような大きいな頭巾風にもみえるシキをかぶります。

渡瀬公民館の田の神2 向かって左(高さ36cm)
同じく上半身だけの石像です。同じ所にあったとすると夫婦像かもしれません。背の左肩にかたよってツトを背負っています。そのひもが前に彫ってあります。つぶれた顔が少しだけみえる様な気がします。持ち物も全然わかりません。像の傷がひどいことや小型であることなどから、家々をまわる石像であったのかも知れないです。