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「湯豊宿」の碑文
お湯が豊かな宿のまち「ゆぶしゅく」と呼んだのでしょうか?
平安時代の古文書『和名抄』(わみょうしょう)には、揖宿郡は「以夫須岐」(イフスキ)と書かれていました。
古来より揖宿の読み方については、イフスキとユフスキの2つの流れがあり、中世〜近世には、ユフスキの呼び名がしばしば登場します。日本語には「行く」をユクというようにイ音とユ音と読替える性質があるようです。
では、「ユフスキ」にはどんな意味があるのでしょうか。古来より指宿は温泉街として知られ、湯之口、湯の浜、湯の里など「湯(ユ)」のついた小字は30箇所近くあり、中世には「湯豊宿」とも表記されていました。ユフスキのフは、「生(フ)」があてられていたと考えられています。「生」は芝生と書くように植物が生い茂る場所を意味する言葉でしたが、それが転じて何かがたくさんある場所をさす意味にも使われるようになりました。また、古代の朝鮮半島では村のことをスキと呼んでいて、指宿の「スキ」はそのなごりではないかといわれています。つまり、指宿の語源はユフスキ「湯生村」で、それが長い歴史の中でイフスキ→イブスキと変化したと考えられています。

指宿の地名について書かれた本
小川亥三郎著「南九州の地名」
※指宿市立図書館にあります。