白石一郎『幽霊船』新潮文庫 1988年

 「同じ体験が人間を同じように変えるとは限らないようだ」(本書「竹籠の女」より)

 10編の時代小説を収録した短編集です。九州を舞台とした作品が多いのは,この作者の持ち味のひとつでしょう。

「幽霊船」
 敗北前夜の西南戦争の最前線から脱走し,南西諸島へ向かった薩摩藩士が見たものとは…
 主人公がタイム・スリップするという,この作者らしからぬ,というか,この作者にはめずらしい幻想的な設定なお話。西南戦争と,薩摩藩による収奪が厳しかった幕末の西南諸島の有様を対置させることに,どのような意味があるのか,ちょっとわかりかねます。藩の過酷な島支配に「外の目」を設定するとしても,わざわざタイム・スリップというSF的手法を導入する必然性があったのでしょうか?
「元禄武士道」
 鍋島家への祝賀の使者として選ばれたのは,黒田家の下級武士だった…
 「儀式」を嗤うことは簡単ですが,組織の中ではどうしても避けて通れないものがあります。面倒くさくとも,それなしで物事を進めたときに生じるデメリットを考えると,仕方がないというところもあるのでしょう。しかし,その儀式が肥大化し,形式主義に陥るとき,儀式は苦痛以外の何物でもなくなります。根底に「悪意」を湛えた儀式に巻き込まれた下級武士の哀れさを,どこか苦笑を誘うユーモアを交えて描いた本編は,「武」から乖離した武士の悲喜劇ともいえましょう。
「竹籠の女」
 激戦の田原坂から逃亡した官軍の軍夫・清八は,ひとりの女に助けられる…
 作中に「口にしたり文字に書いたりすればいかにも立派だが,その死にざまは眼もあてられない」という言葉が出てきます。歴史年表だけでは見えてこない,歴史資料だけからは浮かび上がってこない部分を,(それに基づきながらも)想像力でもって描き出すところに,歴史時代小説の醍醐味があるのでしょう。お弓の無惨な最期の姿が,この作品で描きたかったことの象徴なのでしょう。
「月と老人」
 深夜,お城から呼び出された老医師・春竜に,思いもかけぬ依頼が…
 黒田藩が抱える政治的苦悩と,主人公山内春竜の頑固で経験豊か,それでいて飄々とした一面を併せ持ったキャラクタとのコントラストが鮮やかな1編です。ビターなラストの多い本集中,その爽やかさな幕引きは随一の作品でしょう。
「勇士,還る」
 明治22年,憲法発布の祝賀に沸く熊本に,ひとりの男が12年ぶりに還ってきた…
 時代は変わります。どうしようもなく変わります。その変化に巧く身を処した人間が「歴史」の表舞台に出てくるのかもしれません。しかし,けっして表舞台に出てこなくとも,いかなる時代にも時代に馴染めない人々がいることもたしかでしょう。本編の主人公野々村市蔵のような人間は,いつの時代にもいたのかもしれません。彼が「還る」ところとは,12年間の逃亡生活そのものだったのでしょう。
「新九郎推参」
 浪人の内職の口入れ屋が持ってきたのは,奇怪な仕事だった…
 『水戸黄門』「必殺シリーズ」『遠山の金さん』÷3,といった感じの作品です(笑) どこかシリーズもののワン・エピソードを思わせます。スリルたっぷりの剣劇シーンが楽しめます。
「閉門志願」
 年の瀬,藩からもらった大事な給金を落としてしまった男は,一計を案じ…
 「元禄武士道」と同様,サラリーマン化,官僚化した武士の悲喜劇を,ユーモアあふれるタッチで描いています。間抜けのような,せこいような主人公の「計画」に,しだいしだいに奥さんまで「その気」になっていくところがいいですね。まぁ,ラストは「お約束」といったところですが…
「落花譚」
 島津勢に攻められ,城を後にして逃げ延びる伊東家一行は…
 状況が変われば人の心も変わるのが世の常です。その心変わりを責めることのできる人間が,世の中にどれだけいるのでしょうか? おそらく本編の佐七郎は,そんな「権利」を持ったひとりでしょう。しかしその「権利」が圧殺されてしまうところもまた,哀しいながら世の常なのかもしれません。
「明日をも知らね」
 突如,幕府から改易を命じられた高橋元種の心意は…
 「乱世の英雄,平時の梟雄」という言葉があります。戦国の世が終わり,平和な時代への変転を,高橋元種に象徴させながら描いています。「元禄武士道」とは,ちょうど正反対の「戦国武士道」の残光とも言えましょう。あるいはまた,権力を握った「悪党」は,もう悪党ではないというお話。
「血の池」
 島津勢の攻勢に絶体絶命の鶴賀城。城主の娘・弓は起死回生の一手を試みる…
 「女傑」の名がふさわしい主人公の,身を捨ててまでの情念・怨念は,鬼気迫るものがあります。ラスト,相良弥八郎との「対決」は,「ぐぐっ」と手に力が入る緊迫感に満ちています。みずからの怨念が終焉を迎えるとき,その怨念が招き寄せた新たな怨念を,人はひしひしと感じるのかもしれません。

02/05/09読了

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