菊地秀行『幽剣抄』角川文庫 2004年

 5編の短編と,その間にはさまされた4編の掌編,計9編よりなる,一風変わった体裁の作品集です。いずれも時代物の怪異譚で,この作者お得意の剣戟シーンも楽しめます。

「影女房」
 不遇をかこつ侍の家に現れた女の亡霊…その目的は…
 本編のおもしろさは,やはり主人公の侍榊原久馬と幽霊小夜との間の,どこか軽妙なやりとりにあるのでしょう。とくに久馬の母と小夜との嫁姑(?)の関係は,生死の境など無いかのようです(笑)
「茂助に関わる談合」
 ある夜,下男のことで息子の訪問を受けた侍は…
 いったい茂助とは何だったのか? いやそれよりも,「茂助は化け物」と断ずる息子,そして深更にもかかわらず訪れてくる息子の妻子の正体とは何だったのか? なにもかも曖昧ながら,その曖昧さが不気味さを醸し出しています。
「這いずり」
 人間嫌いの侍が,藩からの討手に逆らったことから…
 楳図かずおの初期作品に「蛇」をモチーフとしたものがいくつかありますが,そんな,草むらを這いずる蛇女を思い出させる1編です。視覚的イメージのグロテスクさに秀でた作品。ラストへつながる主人公の鬱屈もいいですね。
「千鳥足」
 “千鳥ヶ淵”に現れる怪異をみきわめんと赴いた武士は…
 怪異が部分的にしか解明されないという点で,どこか岡本綺堂を思わせる,じつにオーソドクスな怪談です。同じことでも,武士だったら女々しいとされ,農夫ならば見事とされる,そんな皮肉も楽しいです。
「帰ってきた十三郎」
 彼は,将来の兄嫁から,帰ってきたかつての恋人の斬殺を頼まれた…
 どんなにおぞましい怪異であっても,それを「いじらしい」と感じさせてしまう生者の「怖さ」。ラストの女の一言が,それを巧みに浮き彫りにしています。
「子預け」
 自分の子どもだと押しつけられた侍は…
 物の怪が,子どもを育てるために,人間の夫婦に預けるという発想がおもしろいですね。タイトルは,その物の怪の名前でしょうか? 断り切れない夫の心理を上手に利用しているあたりもいいです。
「似たもの同士」
 ある人物の殺しを依頼された侍。その相手とは意外にも…
 愛するものを殺さずにはいられない狂気と,一番愛されていることを証明せんがために競って殺されようとするふたりの女の狂気とは,どちらが根深いものなのでしょうか? そんな愛と狂気との親近性は,主人公もまた持っているものなのでしょう。
「稽古相手」
 初対面のはずの侍同士は,なぜ決闘に及んだのか…
 小泉八雲を彷彿とさせるような,まさに「綺譚」と呼ぶにふさわしい1編。老婆の語りという体裁が,その綺譚らしさを十二分に盛り上げています。
「宿場の武士」
 廻国修業中の若侍が,とある宿場で師匠とすべき武士に出会い…
 「人外の剣」や意味ありげな決闘と,じつにこの作者らしい素材ですが,最後になって,「おっと,そう来たか!」とうならされました。その「武士」が戦っていた相手は,もしかすると「時代」だったのかもしれません。

06/01/29読了

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