柴田よしき『ゆび』ノン・ポシェット 1999年

 ある日,東京に現れた「指」。それは,非常ベルを押し,緊急ボタンを押していく。人々は異常事態にとまどいを隠せない。トリックなのか? それとも幻覚なのか? そして「指」が悪意を明らかにし,無差別殺人へと走るとき,東京はパニックに陥る! 不条理な事件の背後に潜む秘密とはいったいなに?

 「ボタンひとつで快適生活」――などと書くと,家電製品のCMのようにも聞こえますが,かつてわたしが子どもの頃に描かれた「未来生活」というのは,多分にそんな雰囲気がありました。ボタンひとつ,指一本で,自分の欲求が即座に満たされる機械に囲まれた生活です。そして現在,その「未来生活」は確実に現実化していってます。コンピュータにしたところで,マウス入力方式の発明がなかったら,おそらくこれほど普及するのは難しかったのではないかと思います。
 しかしその一方で,「ボタンひとつ」「指一本」という操作の簡便性は,大きなリスクを負うことにもなります。わたしたちと機械との「コミュニケーション」は,ボタン・指という部分に限定され,機械内部は,わたしたちのあずかり知らぬブラック・ボックスと化していってます(コンピュータを「使える」ということと,「知っている」ということは別のものです)。それゆえそれは常にコントロール不能に陥る危険性を増してきていることを意味しています。「ボタンの押し間違え」は,ときに機械の暴走状態を引き起こす危険性を秘めています(それは本書でも描かれていますが,もっとも現実的な究極の恐怖としての「核兵器の誤発射」へとつながっていきます)。
 不条理な設定にも関わらず,本書で描かれている「指」が引き起こす大事故やパニックにリアリティが感じられるのは,そんなわたしたちの「快適な生活」の背後に隠されている危険性・不安を巧みに引き出しているからではないでしょうか? そういった意味で,この作者が「指」に着目したことは,卓抜な発想と言えましょう。

 最初は人々の暗い欲望―自殺願望や他人を陥れたいと願う気持ち―を「後押し」するような形で「指」は振る舞います。それはそれできわめて不気味なものがありますが,しだいに「指」は人間に対する悪意を明確にし,大量殺人へと走っていきます。「指」が人を殺す,というとなんだか荒唐無稽のように思えますが,ひとつひとつは現実味があり,なおかつどんどんエスカレートしていく展開は,迫力があります。また「指」事件を追いかけるメイン・キャラクタたちの推理や調査も,サスペンスフルで,テンポよく進んでいき,読みやすいです。
 ただ,これだけ話が大きくなっているにも関わらず,その真相がやや小粒すぎる感じが否めません。たしかに「理詰め」のオチではあるんですが,逆に「理」に落ちることで,前半の不条理であるがゆえに持っていたパワァのようなものが失速してしまっているようにも思えます。あるいは,メイン・キャラクタたちの「内輪の話」に収束してしまっているといった感じです。むしろ,思いっきり不条理な形で終焉させてしまうのもひとつの選択肢だったのではないでしょうか? やはりこの人は「ミステリ作家」なんでしょうね。

98/07/30読了

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