ダン・シモンズ『夜更けのエントロピー』河出書房新社 2003年

 「少し不思議な物語」(<帯の惹句)を集めたシリーズ「奇想コレクション」の1冊。原題に“Seven Stories”とあるように,7編を収録しています。

「黄泉の川が逆流する」
 ママが死んだ…そして還ってきた…
 ニュータイプのゾンビもの,とでも言えましょうか。舞台の背後には,何らかのSF的設定があるのかもしれませんが,それについては,いっさい触れず,主人公の少年の目を通して,「母親の帰還」を契機として,壊れていく「家族」の姿を,淡々と描き出しています。ラストの一文は,「ぞくり」とする怖さがあります。
「ベトナムランド優待券」
 ベトナム戦争に従軍した祖父とともに,ベトナム・ツアーに参加した一家は…
 グロテスクな「アミューズメント・パーク」と化した「ベトナム戦争」,高額な金銭を払えば参加できる「秘密のツアー」,そして実際のベトナム戦争に従軍した人々の割り切れない想い…最後の老人の行動を「狂気」と呼んでしまうのは簡単ですが,むしろそれは,「戦争」を商品化する時代とそれを享受する人々に潜む「狂気」の裏返しなのではないでしょうか。
「ドラキュラの子供たち」
 革命直後のルーマニアで,“わたし”たちが見たものとは…
 かつて人々を恐怖に陥れた吸血鬼ドラキュラ,そのモデルとされるヴラド串刺公…そんな「フィクション」や「過去」が太刀打ちできないほど無惨なチャウシェスク政権下のルーマニア。吸血鬼の口から,生き延びるための「中庸」という言葉が出ることに説得力を持たせているのは,そんな「現実のむごたらしさ」なのかもしれません。
「夜更けのエントロピー」
 別れた妻に引き取られた娘と一緒に旅行に出た“わたし”は…
 主人公の記憶をなぞるように,そしてさながらコラージュのように,「死」と「事故」が,つぎからつぎへと描かれていきます。淡々と,あるいは諦念にも似た軽やかさをもって描き出されるそれらは,「死」や「事故」の空虚さを(同時に「生」の空虚さを)表しているように思えます。そんな主人公のむなしさを,わずかなりとも安らげさせるラストに,少しだけホッとします。
「ケリー・バートンを探して」
 自殺しこねた“わたし”は,奇怪な世界で,かつての教え子と殺し合う羽目に…
 人は生きていくために「物語」を必要とすると言います。自分に対する,他人に対する,「世界」に対する物語を。主人公が異世界において「経験」したケリー・バートンの探索,殺し合い,相互理解とは,主人公にとっての,そんな「物語」ではなかったのだろうか,などと思います。ところで,「幻想」と「現実」とが等価に描かれている作品に,いつも,いくばくかの「哀しみ」を見てしまうのは,わたしが中途半端なリアリストだからでしょうか?
「最後のクラス写真」
 “大苦難”のあと,変貌した世界で,ギース先生は授業をつづける…
 親しい人の死や別離などに代表されるショッキングな非日常に遭遇したとき,日常的行為の反復は,そのショックを乗り越える有効な手段とされます。しかし,「日常性への執着」が肥大化し,その「日常性」を守るために,「非日常」的な手段を行使し始めるとき,人は狂気へと滑り落ちていくのかもしれません。老教師の狂気を描きながら,ラストに提示される「希望」は,長い教員経験を持つこの作者自身のものなのかもしれません。本集中,一番楽しめました。
「バンコクに死す」
 20年ぶりのバンコクで“わたし”は,一組の母娘を捜した…
 吸血鬼が,処女の白い首筋に牙をたてる,というシーンは,自然とセクシュアルな雰囲気を醸しだします(「牙」を「ペニス」のメタファと見ることもできます)。しかし現実のセックスに,ある種の「生臭さ」がともなうことは避けようがありません。ですから,そのことが,セックスのメタファとしての吸血という行為に,同様の「生臭さ」を与えることは,不自然なことではないのでしょう。

04/12/11読了

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