伊達一行『妖言集』集英社文庫 1997年

 舞台は過去の日本と東南アジア,神話・伝説・言い伝えを題材とした綺譚12編よりなる連作短編集です。 伝説,言い伝えの類が好きです。とくに「物語」として体裁を整えていない,因果も起承転結も,ましてや教訓もない,それこそ断片のような言の葉の寄せ集めのような話が好きです。そこには「なぜ」とか「どうして」とか「いかに」とかいった問いをいっさい拒絶しながらも,どこか人の心の奥底に眠る闇やら光やら,そんなものをほのかに思い出させるものがあるように思います。いくつの作品についてのみコメントします。

「憧憬記(あくがれのき)」
 スメラミコトの陵をつくるために都に来た鳥魔呂は,そこで神のごとく美しい沙月姫と出会う。彼は彼女に仕えることとなり…
 古来日本に神と魔の区別はなかったそうです。人智・人力を超えた存在を,ときに神と呼び,ときに魔と呼んだのかもしれません。人は神/魔に近づきすぎると,この世ならざる法悦を味わえるのかもしれませんが,それと引き替えに破滅の淵へと滑り落ちていかなければならないのでしょう。しかしそんなことは,もしかすると,神/魔にとってはなんの関係もないこと・・・。
「指,ゆれる」
 『日本霊異記』に残された説話のひとつ,初夜に頭と一本の指を残して喰われてしまった女の話を手がかりに,作者の想像が広がり…
 この作品集には,エッセイ風な作品がいくつかおさめられており,その中の1編。食い残された指から,かつて常陸国にあったという“指舞い”,四本指の娘のために,旅人の指を切り集めたという盗賊赤王丸の話,そして祖母から聞いたトヨという女の小指のミイラ…自在に広がる作者の想像の翼に乗っているようで,心地よいです。
「月性庵夜話」
 平安時代の終わり,愛子(あいし)という娘がいた。愛した夫・三善朝綱に先立たれ悲しみに沈む彼女に,乳母はひとりの僧侶を紹介し…
 淫祠邪教として,歴代の政治権力から徹底した弾圧を受けた「真言立川流」の話です。最初は夫不在の哀しみを癒すためだったのが,しだいに狂おしい闇黒の世界へと傾斜していく愛子の変貌が鬼気迫ります。また最後のするりとしたオチも不気味でいいです。
「AZURA」
 中国明代の大冒険家・鄭和の名は,東南アジアでは半ば伝説化していた。マレーシアを訪れた作者は,鄭和伝説とともに「アズラ」の伝説を知る…
 あったかもしれない歴史,伝えられたかもしれない伝説。アズラとは何者なのか? アズラと鄭和は出会っていたのか? 反転するラストは,ひとつの伝説の誕生シーンなのかもしれません。あるいはあらゆる「物語」の誕生の元型なのかも・・・。
「青龍山」
 「石」は時を超え,その姿を変えず,その傍ら人間はうつろいゆく…
 東北地方の小さな盆地を舞台に繰り広げられる,はるか古代から現在まで,そして未来までも含めて,けっして書き記されることはないけれど,必ずやあったに違いない「歴史」。こんな「歴史」というのは,始まりもなければ終わりもない,もしかすると語り手さえない「物語」なのかもしれません。淡々とした醒めた文体は,カート・ヴォネガットを思い起こさせました。本作品集では一番好きです。
「仮面(トペン)の海」
 バリの若き仮面作り・ラオに,ジャワからの亡命王子マク・ジャンダからもたらされたのは「悪の仮面をつくってほしい」という依頼だった…
 モデルやイメージが先行して存在するモノをつくる行為は,人のうちにとどまります。なぜなら,それは人の内側にあるものの具象化なのでしょうから。しかしそんなものが存在しないモノを作りだそうとするとき,人は「人ならざるもの」にならなければならないのかもしれません。「創造」という行為にはつねに「物狂おしさ」が潜んでいるのでしょう。

97/10/12読了

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