小松左京『夜が明けたら』ハルキ文庫 1999年

 17編をおさめた短編集です。掲示板でしばしこの作家さんのことが話題になり,「久しぶりに読み返したいな」と思っていたのですが,『果しなき流れの果に』とか『日本沈没』とかいった代表的長編を読む時間がないもので,本書を手に取りました。
 気に入った作品についてコメントします。

「夜が明けたら」
 真夜中の「地震」のあと,停電はいっこうに直らず…
 「明日」は「今日」と同じような一日がやってくる…というのが,じつは根拠のない信念にすぎないことを,SF的に表現した作品とも言えましょう。暗闇の中で小さな炎に手をかざす主人公の姿には,「ぞくり」とする怖さがあります。
「海の森」
 夜中に「ずしん」という重い跫音ともに上陸してきたものは…
 不気味なオープニング,海岸で発見された石仏が関係してくる伝奇的テイスト,意外なモンスタの正体,と,きっちりとまとまった作品です。石仏像との思わぬ結びつきが楽しめました。
「ツウ・ペア」
 朝目覚めると,彼の手にはべったりと鮮血で汚れており…
 基本設定はSFホラーなのですが,最後に明かされる真相はトリッキィであり,ミステリとしても楽しめる1編です。
「秘密(タプ)」
 芝刈りを終えた夫は妻に言った。「おまえを食べたい…」
 しばしば「ある物語を読むと呪いがかかる」という設定の物語はありますが,この作品では,「物語」そのものが「呪い」であるという点がユニークですね。もしかすると,「呪い」というのは,ある人物(たち)を特定の「物語」,それも悲惨な「物語」の登場人物にしてしまうことなのかもしれません。
「安置所の碁打ち」
 朝,目覚めると彼は死んでいた…
 「リヴィング・デッド」のお話なのですが,ホラーではありません。しかしどこか落ち着きの悪い,読むものを妙に不安にさせる奇妙な物語です。エンディングからすると,一種の「病院怪談」とも言えるかもしれません。
「兇暴な口」
 “おれ”は今まで正気の人間がやったことのないことをやってやるんだ…
 食事の「目的」は多様ですが,その本来的な「機能」は,生体の維持,自己保存です。しかし現代は「機能」よりも「目的」が肥大化している時代と言えましょう。そして本編では,その肥大化の極みとして,食事が,その対極にある自己破壊願望と結びつきます。この作品の不気味さは,グロテスクな描写だけでなく,本来相反する「食事」と「自己破壊」との結びつきの奇怪さ,おぞましさに由来するのではないでしょうか。
「沼」
 20数年ぶりの帰郷で,彼は沼にまつわる暗い記憶を思い出し…
 「記憶怪談」風の展開の末に見事なツイスト。怪談よりもはるかに「ぞっ」とさせる秀逸なショートショートです。
「猫の首」
 ある朝,門柱の上に子猫の首が載せられて…
 「サイコもの」風のオープニングが,しだいしだいに異形な「日常」へとシフトしていき,日常を覆すような「異界」の出現で幕を閉じます。そのあたりの「持っていき方」がじつにスムーズです。あるものに対する生理的嫌悪感を上手にショッキングなラストに結びつけています。
「牛の首」
 誰もが語ることを忌避する怖ろしい怪談「牛の首」とは…
 中心にあるのは空虚。空虚であるがゆえに,周辺の漣ばかりが音を立てて旋回していく。その漣の音ゆえに,中心が空虚であることが忘れられていく・・・なぜかロラン・バルトの「東京論」を連想させられました。

01/06/15読了

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