黒崎緑『闇の操人形(ギニョール)』講談社文庫 1995年

 ふとしたきっかけで知り合った正反対の性格のふたり,1101号室の鵜飼那美子と1202号室の高井田初音。彼女たちのそばに一組の若夫婦が引っ越してきて以来,那美子の周囲には奇妙な出来事が立て続けに起こりはじめる。那美子の郵便物が盗まれ,向かいの棟には覗き魔の噂が・・・。そして那美子は,何者かに操られるがごとく,ゆっくりと壊れていく・・・。

 それなりに,よくできた巧い作品だとは思います。思うんですが・・・。
 物語は,「那美子」と「初音」,ふたりの姿を交互に描きながら進んでいきます。那美子の周囲で起こる奇妙な出来事,苛立つ彼女,そして“悪意”と偶然が重なるとき,那美子の心は失速していきます。一方,初音は,最初は第三者的な立場にありますが,しだいに“事件”の重要な担い手として描き出されていきます。ふたりの行動や思惑,疑心暗鬼,狂気がもつれ合いながら,最後の破局へと物語は進んでいきます。そしてラストのドンデン返し。途中「なんで,こんなエピソードが?」と思っていたところが,そのラストの伏線になっています。
 だからそれなりに物語としては凝っていて,おもしろいのですが,どうも主人公,とくに狂気へと崩れ落ちてゆく那美子に感情移入ができなかったんですよね。

 人が狂っていくプロセスを描き出すサイコ・サスペンスというのは,どこかに「狂いゆく人」とシンクロする部分がないと,いまいち怖さを感じることができません(もちろん,狂った人・モノからの暴力的な攻撃に対する恐怖というのは別のものとしてありますが)。
 自分が,登場人物と同じような状況では,もしかすると同じ道を歩んでしまうかもしれない(狂ってしまうかもしれない)という恐怖感。この作品では,どうもそのあたりが感じられなかったんですよね。要するに,この程度の“悪意”で人は狂ってしまうのだろうか? という疑問が残ってしまいました。またたとえ,それが「那美子」のキャラクタだったとしても,それを説得力を持って十分描いているかというと,それもいまひとつという感じです。

 感情移入できない理由のもうひとつとして,妙に「解説」じみた文章が目につく,というところもあります。物語の今後の展開や結末を匂わせる文章というのは,効果的に用いればサスペンスを高めることになるのでしょうが,それがあまりにしばしば出てくると,テレビの連ドラの仰々しい「引き」のナレーションを聞かされているようで,少々白けてしまうところがあります。
 それと那美子の狂気を,やはり「解説」するような感じで描いているのも(とくに後半部),せっかく盛り上がってきたサスペンスに水をさす結果になってしまっているのではないでしょうか?

 登場人物に感情移入できるかどうかは,読み手の性格や好みに大きく左右されるので,作品としての質を決める基準にはならないでしょうが,まぁ,そんなこんなで,残念ながら,あまり楽しめませんでした。

98/02/28読了

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