北原亞以子『埋もれ火』文春文庫 2001年

 「波は引いてしまったのですよね,旦那様の足許から」(本書「波」より)

 おそらく幕末維新は,戦国時代と並んで,歴史時代小説においてもっとも取り上げられることの多い素材でしょう。200年以上に及ぶ徳川幕府が瓦解し,明治という新しい国家が産まれるまでの動乱それ自体が,まさに波瀾万丈と呼ぶにふさわしいものでしょうし,同時に,その動乱の時代を駆け抜けたさまざま群像。それは「志士」と呼ばれる勤皇派であろうと,「新撰組」に代表されるような佐幕派であろうと,時代の荒波の中で苦闘する男たちの雄姿は,羨望の対象なのかもしれません。
 そう,多くの幕末維新を舞台にした物語は,「男たち」の姿を描いています。たとえばそれは坂本龍馬であり,西郷隆盛であり,勝海舟であり,土方歳三であり,沖田総司であるわけです。たしかに,女性が政治や社会の「表舞台」に出ることを禁じられ,あるいはまた,そうすることを「恥」と考えられていた時代ですから,女性たちは,幕末維新の動乱を描くのには,けっして適当な存在とは言えないでしょう。しかし,たとえそうであっても,時代の荒波は,男たちだけではなく,女にも容赦なく襲いかかり,彼女たちを翻弄していきます。
 本作品は,幕末維新を駆け抜けた男たちの妻や愛人を主人公にした,ユニークな「幕末維新もの」となっています。

 人は,まぶしい光を見てしまうと,瞼を閉じてからも,その残像が網膜に残り,なかなか消えません。それと同様に,あまりにまぶしい恋をした者にとって,他の恋はすべて色あせたものに見えてしまうのでしょう。本書,冒頭の「お龍」「枯野」は,ともに坂本龍馬という稀代の英雄に恋してしまった,ふたりの女−お龍佐那子−の「その後」を描いています。彼女たちの人生に,龍馬という影は一生ついてまわります。さらに互いの存在を意識することによって,その呪縛はますます強くなっています。酒におぼれるお龍と,老いてなおみずからの人生に後悔を感じざるを得ない佐那子。ふたりの人生は天と地ほど離れていながら,どこか共振しあうものがあるのかもしれません。
 「英雄の呪縛」から逃れられないのは彼女たちだけではありません。「呪縛」という,まさにそのままのタイトルを持つ作品で描かれるのは,高杉晋作の愛妾うのの「その後」です。陽気で破天荒だった晋作,しかし明治以後,彼は「維新の英傑」に祭り上げられ,うのもまた「英雄の思い人」としての人生を強制されます。晋作の墓の前で,三味線をかき鳴らす彼女の姿は,残された者の悲哀を余すところなく伝えています。
 しかし同じ「残された者」であっても,幕府に与した者を愛した女たちの「その後」は,さらに悲惨です。「波」「武士の妻」では,新撰組局長近藤勇の妻と愛人を描いています。とくに,豪農の息子だからと嫁いだ妻ツネがたどった哀しい運命は,忠義の士から一転して逆賊となってしまった近藤勇の運命−時代の流れの中で無理矢理変転させられてしまった運命−に重なり合うものがあります。
 さらに新政府に与した者だからといって,すべてがすべて「英雄」になるわけではありません。「正義」は,官軍の先鋒を務めながら,最後には「偽官軍」の汚名を着せられた相楽総三の妻が主人公です。相楽を殺した権力は,照をも自死へと追いやります。明治という時代が,けっしてきれい事−無能な幕府を倒し新時代を到来させた−では済まされない権力闘争としての「闇」を抱え込んでいることを,ひとりの女の行く末を描くことで,鮮やかに切り取って見せています。
 そしてまた,幕末の動乱が飲み込んだのは,武士だけではありません。「お慶」に登場するのは,長崎でその人ありといわれた女貿易商の大浦屋お慶であり,また「炎」では,勤王の志士たちを金銭的に援助したことによって破産した山口の商家白木屋の女房加寿が主人公です。ともに幕末という異様な時代を駆け抜けたふたりの女の「明治」が描かれています。しかし,加寿の吹っ切れたような諦念,あるいはお慶の力強さは,悲愴でありますが,武士たちの妻・愛人たちには見られない清々しいたくましさのようなものを感じます。

01/12/16読了

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