白川道『海は涸いていた』新潮文庫 1998年

 恋人と別れ,第二の故郷・焼津を去り,名前を変えて上京した伊勢孝昭こと芳賀哲郎は,暴力団・佐々木組の企業舎弟“伊勢商事”の社長として,日々を送っていた。かつての恋人とともに焼津に戻ろうと決心した矢先,一発の銃弾が,消し去ったはずの過去を蘇らせる。愛する人々を守るため,彼はみずからの危険を顧みず,捨て身の賭に出る・・・。

 ハードボイルド小説というより,どちらかというと任侠小説,といった感じですね。もうとにかく「絵に描いたような」キャラクタとストーリィ運び。主人公は,「これでもか」というくらいに不幸な生い立ちを背負っていて,すべてを捨て去ったはずなのですが,昔の仲間のためには,一肌も二肌も脱いでしまう義理人情に厚い人物です。そのためなら,自分の命を投げ出すことさえ厭いません。また別れた実の妹が,ヴァイオリニストとして成功するのを,影から見守り,けっしてヤクザな自分を彼女の前にさらしません。
 主人公のまわりに配される登場人物も,やっぱりお約束のようなキャラクタです。「おまえは堅気になるんじゃ」とばかりに,ひとりヤクザの道を歩む布田,夢を見て上京したものの水商売の世界に身を沈め,ヒモに食いつかれる千佳子,伊勢を兄貴として慕う慎二,「たとえ,振り向いてくれなくてもいいの,わたし,待つわ」という,男にとってあまりに好都合な性格の今日子,ヤクザお得意の擬制的親子関係に生き甲斐を見いだす佐々木や茅野。でもって,伊勢を追う佐古もまたベタベタの刑事ではありますが,伊勢の,いや芳賀を取り巻く事情がわかってくると,妙に物わかりのいい人間になってしまいます(ここらへん,あんまりリアリティはありません)。
 まあ,要するに,理想化された任侠世界,ヤクザの渡世です。でもって任侠の世界は「男の世界」ですから,男性キャラはけっこう細かい描写や性格設定があるのですが,女性キャラの方は,千佳子にしろ,今日子にしろ,原田にしろ,いたって平板,類型的な感が強いです。とくに今日子は,ストーリィ展開に大きく関わってくるキャラなのに,どうも性根といいますか,素顔といいますか,そんなところが見えてきません。一昔,二昔前の任侠映画や演歌に出てきそうな「尽くす女」という感じで,正直なところ,ちょっとうんざりします。

 でも,物語としてつまらないというわけではないんです。「様式美」「ワンパターンの美学」を楽しむつもりなら,それなりに話運びは巧く,けっこう楽しめます。とくに中盤以降,佐古刑事の岡堀殺害事件の捜査が描かれ始めると,伊勢側の動き,佐古側の動きが,交錯しながら物語は展開していき,緊張感が高まります。その過程で伊勢の過去がしだいに明らかにされていき,クライマックスへと突き進んで行くところは,ぐいぐいと読み進めていけます。ただ千佳子と慎二をクライマックスに立ち会わせるための展開が,いまいち落ち着きが悪いのが気にかかりました。ラストでの登場キャラクタ揃い踏み,という,これも様式といえば様式なのかもしれませんが・・・・。

98/04/12読了

go back to "Novel's Room"