ジェフ・アボット『図書館の死体』ハヤカワ文庫 1997年

 「殺人者が奪うのは,命だけではないんだよ」(本書“レンフロじいさん”のセリフ)

 テキサス州の田舎町・ミラボー。その図書館長を勤める“ぼく”ジョーダン・ポティートは,狂信的なファンダメンタリスト,ベータ・ハーチャーと喧嘩した翌日,彼女の撲殺死体を発見するはめになる。おまけに場所は図書館の倉庫! 第一発見者で,動機とチャンスあり,アリバイなしの“ぼく”には当然のごとく殺人容疑が降りかかる。死体が身につけていたメモを手がかりに,独自に調査をはじめた“ぼく”が見出した真相とは・・・

 まったく知らない作品を書店で手に取り,最初のところを目にした途端,「あ,これ,おもしろそう」とピンと来ることが,ごくたまにあります(逢坂剛『百舌の叫ぶ夜』がそんなパターンでした)。本書も,
「殺される直前にぼくと口論するのだから,ベータ・ハーチャーの迷惑ぶりにはほとほと困ったものだ」
という,ユーモアが漂いながらも,この作品でメインとなる事件と,主人公の“ぼく”に降りかかるであろう災難を見事に描き出した冒頭の一文に誘われようにして購入しました。そして読み始めたのが運の尽き(笑),あれよあれよという間にページを繰り,一気に読み通してしまいました。
 そう,じつにテンポのよい作品です。それもジェット・コースタ的な展開というのではなく,子供の頃,運動会で流れた行進曲を聴くような,そんな心地よいリズムでストーリィは展開していきます。
 物語は,狂信的な聖書根本主義者で,街の人々から嫌われているベータ・ハーチャーの撲殺事件からはじまります。最重要容疑者の“ぼく”は,なんとか容疑を晴らそうと調査をはじめますが,その手がかりとなったのが,ベータの死体が身につけていた不可解なメモ。数人の人物の名前と,それぞれに付せられた聖書の文句。そこには,“ぼく”のアルツハイマー病の母親アンの名前も含まれいています。“ぼく”はメモの人物たちに話を聞きに行きますが,彼らの証言からしだいにベータをめぐる確執が露わになってきます。メモにはいったいどういう意味が隠されているのか? ベータをめぐるトラブルのうち,いったいどのトラブルが殺人事件を引き起こしたのか? そんなメモにまつわる謎を小出しにしながら,ストーリィを引っぱっていく手腕は,とてもデビュウ作とは思えないものがあります。
 そしてそのストーリィのリズムを支えているのが,軽快感があり,適度なユーモアで味付けされた文体であり,その文体で描き出される生き生きとしたキャラクタたちでしょう。ボストンで編集者と活躍しながら,アルツハイマー病の母親のために故郷ミラボーに戻ってきた主人公,夫に逃げられ,ひとり息子のマークをひとりで育てる,主人公の姉アーリーン。彼らポティート家の人々の間に流れる,家族特有の信頼感と反感が,ちょっとした会話などでじつに鮮やかに描き出されています(とくに思春期のマークの心の揺れ動きと,彼に対する“ぼく”の態度が心憎いですね)。また“ぼく”の幼なじみで思慮深い警察署長ジューンバック,明らかに嫌われ役の(笑)地方検事補ビリー・レイ(多少カリカチュアが過ぎる気配もありますが,たしかにいますよね,こーゆータイプ)。ちょっとわがままでヤキモチ焼きだけど,気のいい,主人公の恋人(?)キャンディス。そのほか,ミラボーの住人たち―容疑者たち―をはじめ,レンフロじいさんやSFマニアの高校生ガストン・リーチといった,ほんのちょい役までもが,くっきりとした存在感を持っているように思います。それはきっと,主人公“ぼく”の視点―ユーモアを保ちつつ誠実な心やさしい“ぼく”の視点から描き出されるからこそ,なのでしょう。

99/09/23読了

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