平山夢明『東京伝説 呪われた街の怖い話』ハルキ文庫 1999年

 巻末の「あとがき」に,
「当然のことながらすべてがレアな状態で出されたものではないが,最初から最後までフィクションである話はない。一話一話が何らかのインスピレーションを著者に与えた結果,形になった物であり,その多くは話し手の体験談のままに,その時の感情を損なわないように,最大の配慮がなされている。」
とありますように,著者が集めた「都市伝説」をもとに書いたショート・ストーリィ48編を収録しています。
 たしかに「都市伝説」を元ネタにして,あるいは作中に取り込んで作られたホラー作品は数多くあると思いますし,中には傑作と呼んでいいものもあるので(たとえば小松左京「くだんのはは」望月峯太郎『座敷女』など),そういった創作作法を頭から否定するつもりはありません。
 ただ,上に挙げた著者の言葉には,少々首を傾げたくなる点があります。というのは,本書に収録されているいくつかの「作品」には,民俗学者ブルンヴァンの有名な一連の「都市伝説シリーズ」(『消えるヒッチハイカー』『チョーキング・ドーベルマン』『メキシコから来たペット』など)に収められた「都市伝説」と酷似しているものが含まれているからです。
 たとえば「次は殺す」という作品は,乗ったバスの運転手が主人公の少女を陥れるかのような言動をとった謎がラストで明かされる,というお話ですが,バスと乗用車の違いはあっても,類似したシチュエーションの「都市伝説」がブルンヴァンの著作に見られます。また,閉店直前のペット・ショップから買ったフェレットが,じつは外国のドブネズミだったという「フェレット・ブリーダー」は,明らかに「メキシコから来たペット」の焼き直しといって差し支えないでしょう。「確かに誰かがいる」と似た話も収録されていたように記憶しています。
 つまり,著者が直接耳にしたと称する「都市伝説」が,本当に「都市伝説」として巷間に伝わっているものなのかどうか,疑問に思ってしまうわけです。もちろん,ブルンヴァンの著作が翻訳されたのが1988年,それが「日本ナイズ」されてふたたび「都市伝説」として囁かれ,著者の耳に入ったというプロセスを想定することも不可能ではありませんが,仮にも「都市伝説」や「怖い話・噂」を追いかける人間が,ブルンヴァンの著作を読んでいないとは,とても思えません。
 「この作品の元ネタは都市伝説なんですよ」「こんな怖い話が囁かれているんですよ」と言いながら,そのじつ,他人の著作の「翻案」,もっときつい言葉で言えば「パクリ」を多く含んでいるという疑念が払拭されないのです。たしかに「都市伝説」に,いわゆる「作者」なるものはいないのでしょうが,だからこそ,それを作者不明の「都市伝説」として掲載するならともかく,個人名で1冊の「作品」として出すことには,首をひねらざるを得ません。
 ただそういった作品だけでなく,なかなか楽しめた「うまい話」も収録されています。個人的には,語り手が自分の記憶に自身が持てないがゆえに,じわじわとした恐怖を想像させる「消えたいじめっ子」,友人のこととして語られたグロテスクな話が,じつは語り手自身のことではないかと思わせるラストの「罠」,就職氷河時代にマッチした都市伝説と思われる「一円玉に刻まれた数字」などがおもしろく読めました。また「まだ気づかないの」「不幸なチケット」は,ともにアイロニカルなミステリ短編を彷彿させる作品です。
 しかしこういった楽しめた作品も,上に書いたような理由から,「もしかして元ネタがあるのでは?」という疑問が頭から離れないのが残念ですけど・・・

98/07/23読了

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