マレー・ラインスター『地の果てから来た怪物』創元推理文庫 1970年

 「世の中でいちばんむずかしいのは,信頼できるデータを掴むまで判断を保留することだ」(本書より)

 南極への補給基地である絶海の孤島・ガウ島。そこに定期便の飛行機が不可解な事故で胴体着陸した。乗っているはずの9人の乗員乗客が姿を消し,パイロットは着陸直後,ピストル自殺を遂げた。それ以来,島には“姿の見えぬ怪物”が徘徊し始める。怪物は,パイロットの死体を運び去り,海鳥の営巣地を襲い,犬を連れ去る。そしてついに人間にも被害が! 孤絶した島で,生き残りをかけた戦いが始まる…

 問題の発見は問題の解決の第一歩である,と言われています。問題があることは分かっていても,その問題の所在や「形」が分からない状態は,問題に直面した人間に大きなストレスを与えます。しかし問題の「形」が見えると,たとえそれが大きく複雑なものであって,なんとか解決への手がかりが与えられ,心理的にはかなり余裕が出るものです。
 さてホラー作品においても,登場人物たちに脅威を与える存在が不鮮明で正体不明であることは,ストーリィの雰囲気を盛り上げる上で,きわめて有効な手法であると言えましょう。SFホラーの傑作映画『エイリアン』における,最後の最後までモンスタの全身を見せないという演出手法に通じるものがあります。
 本編におけるモンスタは,ラストに至るまで,その正体を明らかにされません。つぎつぎと不可解な事件が起こるにも関わらず,登場人物たちは,モンスタの姿を見ることができません。また作者は,その正体不明のモンスタを,つねに「間接的」な形で描き出していきます。たとえば冒頭,ガウ島に向かってくる飛行機で,原因不明の「事故」が起こりますが,島の人々は,それを無線という「音だけ」から知ります。また着陸直後のパイロットの自殺,消えた乗員乗客というミステリアスな謎。さらには,暗闇の中で何者かに運び去られるパイロットの死体,犬の消失。モンスタが海鳥の営巣地を襲っているシーンにおいても,それは直接の描写ではなく,レーダーに浮かび上がる海鳥たちのパニックとして,視覚化されています。
 正体不明であり,なおかつ間接的な描写−それがこの作品のホラーとしての基本的な手法となっているようです。
 また舞台となっているのは南極に近い絶海の孤島。空はつねに灰色の厚い雲がたれこめ,島の岸壁にうち寄せる波濤の音が,人々の耳から離れることはありません。もし映像化されたとしたら,陰鬱で重苦しい雰囲気に満ちた画面になること請け合いです。その舞台設定は,登場人物たちの心理にも大きく影響を与えます。19人と少ないとはいえ,そこに複数の人間がいる以上,さまざまな確執や鬱屈が溜まりますし,また「世界」から隔絶された閉塞的な状況は,人の心を確実に蝕んでいきます。そのストレスからくるミスやエキセントリックな行動が,事態を紛糾し,悪化させていくところは,まさにパニック作品の定番であり,本編でもしっかりそれを踏襲し,緊迫感を盛り上げています。
 そして本編での最大の特色となっているのが,ラストにおいて「理」に落ちる点にあるでしょう。たしかにそれはSF的な意味での「理」ではありますが,「目に見えない怪物」がけっして不条理な存在ではなく,また人間の盲点をついたものとして設定されているところは,すっきりとしていて,ミステリ者としても楽しめるスタイルになっています。

 ショッキングでアクション・シーンの多いこの手の作品に慣れてしまった目からすると,やや「おとなしめ」といったテイストですが,直球ど真ん中のSFホラーに仕上がっていると言えましょう。

02/12/07読了

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