山田正紀『地球・精神分析記録〜エルド・アナリュシス〜』徳間文庫 1981年(~-~)

 人類の集合的無意識の消失と神話の消滅・・・,喜びも悲しみも憎しみさえも失った空虚な自我を抱えた人類は,ゆるやかに滅亡への道を歩み始める。一方,世界は神話のごとく姿を変え,それは4体の神話ロボットと巨大コンピュータによって管理されていた。人類を救うため,神話ロボットの破壊を目的に,4人の男女が悪夢的世界へと赴く。が,彼らがそこで見たものは・・・。

 心理学者ユングによれば,人間には個人的な意識と無意識のほかに,集合的無意識というものがあるそうです。この集合的無意識は,人類の進化の過程で生まれた,すべての人類がもつ共通した無意識で,そこから生まれる精神エネルギーが精神病の原因となるとともに,創造力となるのだそうです。また世界各地に残る神話は,その集合的無意識が生み出したもので,さらにUFOは“神話なき現代人”の集合無意識がつくりだした“新たな神”なのだそうです(精神分析に詳しくないので,間違っていたらすみません)。

 物語は,そんな集合的無意識と神話が失われ,神話が外在化した世界,という設定です。しかし,なぜ集合的意識と神話が失われたのか,なぜ神話が外在化したのか,なぜその世界を神話ロボットが管理するのか,そしてその神話ロボットを統括する『デ・ゼッサント』がなぜ存在するのか,という問いの答はいっさいありません。
 そのため主人公たちは,その世界を“与えられたもの”として対応せざるをえません。だからそれは“夢”に,そして“悪夢”に似ています。それゆえ主人公たちは,つねにこう問います。「狂っているのはこの世界なのか,それとも私自身なのか」と。
 この物語で描かれる5つのエピソード,それは,どこまでも不鮮明で曖昧で混沌としています。主人公たちが経験する神話的世界,それが北欧神話であろうと,古代インド神話であろうと,ギリシャ神話であろうと,それが本当に現実なのか,それとも主人公たちが見ている悪夢(あるいは『デ・ゼッセント』のコンピュータがつくりだした幻想)なのか,読者にとっても最後まではっきりしません。それゆえ,主人公たちの「狂っているのはこの世界なのか,それとも私自身なのか」という答無き問いは,読者自身の問いでもあるのでしょう。
 この物語は,たしかにSF的設定ではありますが,むしろ,人間の“自我”や“経験”がもつ不安定さ,脆さ,あやうさを描いたホラーなのかもしれません。どこか夢野久作『ドグラ・マグラ』にも通じるようなテイストをもっています。

97/08/25読了

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