ブリジット・オベール『鉄の薔薇』ハヤカワ文庫 1997年

 表の顔は国際経営コンサルタント,じつはプロの銀行強盗である“私”ジョルジュ・リヨンは,つぎの“仕事”の予定地・ブリュッセルで,ジュネーブの自宅にいるはずの妻・マルタの姿を見る。それ以来,“私”の周囲には奇妙な出来事が続発する。仲間の裏切り,秘密めいた妻の挙動,そして極右集団の影がその背後にちらつきはじめる・・・

 オープニングから,じつにスピーディにストーリィが展開する作品です。
 前半,主人公にはつぎつぎと奇妙な状況が襲いかかります。自宅にいるはずの妻が,まったく違う街角にいる。電話すると彼女はたしかに自宅にいる。ところが妻の母親―別のところに住んでいる妻の母親に電話すると,そこでも妻が電話をとる! そして妻の母親の家を訪れれば,そこは廃屋,住人は半年前に死んだという・・・
 さらに,いつも組んでいた仲間の裏切り。いやむしろ,“私”が裏切ったと勘違いした仲間たちが,“私”に襲撃を仕掛けてきます。おまけにユダヤ人と思っていた仲間のひとりがアラブ語を呟くのを聞いた“私”は,彼の背後に諜報機関の存在を感知します。そして妻のもうひとつの“顔”を追ううちに現れてくるナチスの残党と極右集団・・・
 いったい,このふたつの謎はどのように関係するのか?
 とにかくこれらの謎が絶え間なく主人公の前に(読者の前に)提示され,主人公とともに不可解で不条理な状況―それはミステリとして,サスペンスとして魅力的でもあります―へと巻き込まれていきます。こういった展開は,オーソドックスな「巻き込まれ型」といったところですが,主人公が「プロの銀行強盗」といった設定が生きていて,あの手この手で危難を乗り越えていくところは説得的です(アマチュアが主人公の場合,あまりに都合よすぎる場合がありますからね)。
 またひとつの“謎”の解決は,もうひとつの“謎”へと連鎖していきます。誰が敵で,誰が味方なのか? 主人公を危機から救い出すのが必ずしも味方とは限らない。敵はいったい何人,いやさ何組の組織なのか? ここらへんは,まさに「息もつかせぬ展開」という感じです。作中,ヒッチコック映画を揶揄した表現が出てきますが,まさにそのヒッチコック映画―たとえば『北北西に進路を取れ』みたいな―を見るようなスピード感とサスペンスが感じられます。
 そしてスパイ・サスペンスとして展開してきた物語は,ラストにいたって,もうひとつの「仕掛け」が明らかにされます。この「仕掛け」の評価はちょっと難しいところがあって,一方で「予想される展開」のひとつの選択肢として想定しうるものであり,それなりにおもしろいものだとは思うのですが,このような「仕掛け」を施さなくとも,スパイ・ミステリとして充分に楽しめますので,「この仕掛けは果たして本当に必要だったのだろうか?」という思いも一方で残ってしまいました。まぁ,こういったラストは,この作者の作品の特徴のひとつなのでしょうね。
 例によって,そういった不満点が残ってしまいますが,やはり展開の巧みさに乗せられ,ラストまで一気に読み進めていけるところもまた,この作者の作品の魅力と言えましょう。

98/12/28読了

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