椎名誠『鉄塔のひと その他の短編』新潮文庫 1997年

 しばらく積ん読状態になっていたのですが,遠野さん@MY FAVORITE THINGSが,本書のことを掲示板に書き込まれたのをきっかけに読みました。10編をおさめた短編集。相変わらずのねっとり系文体で描かれる,どこか日常とは少しだけずれた世界はいいですね。
 気に入った作品についてコメントします。

「ねずみ」
 飛行機の中,麻薬密売人の“おれ”は,刑事に追われ,トイレに逃げ込む…
 都市伝説に,住人の知らないうちに屋根裏に他人が住んでいた,というのがありますが,ジャンボ・ジェットの中に,人知れず人が住んでいるという本作は,もっと(文字通り)「ぶっ飛んで」ます。その奇抜な発想がなんとも楽しいです。きっと,旅行中,思いついたんでしょうね(笑)
「妻」
 ある朝,妻は見知らぬ他人になっていた…
 「見知らぬ妻」というネタは,ミステリやホラーなどでしばしば見かけるものではありますが,「まさか!?」と思いながらも苦笑いを誘うツイスト,そして「どきり」とさせる不気味なエンディング。落とし所の巧さが光っています。
「やもり」
 仕事もなく妻にも逃げられ,借金を背負った“おれ”は,ヤクザに喧嘩を売って死のうと決心するが…
 なんとも情けないオープニングで,ペーソス短編かと思いきや,途中からなにやら様子がおかしい,そしてラストにいたって,じんわりとした恐怖が伝わってくる一編です。本作品集で一番楽しめました。
「抱貝(だかしがい)」
 出張先で訪れた小さな町で,“私”は入った寿司屋で“抱貝”を食べ…
 聞き取れない方言,美味しいけれど素性不明な“抱貝”,得体の知れない奇妙な祭・・・けして怪異が出てくるわけでもなく,ショッキングなラストを迎えるわけでもありません。たとえば,泳いでいて足をなでる海草,危険はないのだけれど気色悪い――そんな居心地の悪さが滲み出てくるような作品です。
「鉄塔のひと」
 山中に建つ,忘れられた鉄塔。男はその上に家を造り住み始めた…
 子供の頃,長いこと人の住んでいない寂れた空き家や,まだあちこちに残っていたセイタカアワダチソウが覆う空き地の一隅などが「秘密基地」に変貌しました。なんていうことのない場所ではありますが,仲間以外は誰も知らない,という理由だけで,それはたしかに「秘密基地」でした。それはまた,いま,日常生活の中でふいと頭をよぎる「ここではないどこか」に行ってみたいという憧れと通じるものがあるのかもしれません。素性も,理由もいっさい描かれていない主人公の行動には,どこかそんな「秘密基地」を想像させるようななつかしさがあります。
「たんねん洞」
 友人とともに,洞穴釣りをしに“たんねん洞”にもぐり込んだ“私”は…
 この作者のSF作品は,フィクショナルな動物や植物の奇怪珍妙な名前を多出させることで“異界性”を醸し出す手法がしばしば見られます。この作品も,洞穴の中に棲息する(と描写されている)昆虫や魚の名前を散りばめることで,主人公たちが紛れ込んでしまった“地下異界”の,ぞわぞわした不気味さを表現しているように思います。また理由も原因もいっさい書かない手法も,それと同じ効果を上げるに成功しています。

99/09/22読了

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