加納朋子『掌の中の小鳥』創元推理文庫 2001年

 「身近な人の成功は,よくない夢を見させるものなの」(本書「エッグ・スタンド」より)

 登場人物は,“僕”こと冬城圭介“私”こと穂村紗英。そして彼らがよく行くカクテル・バーのバーテンダー泉さんと,その常連の老紳士(?)「先生」です。圭介と紗英とのラヴ・ストーリィを軸としながら,ふたりが,「今」と「過去」に遭遇した「日常の謎」を解いていくという,この作者お得意の「日常の謎」系連作短編集です。

 ところで,ミステリの読み方にはいろいろあるでしょうが,本格ミステリの場合,多かれ少なかれ「作者との対決型読み」といった部分があるのではないでしょうか。つまり,作者が提出した伏線を読み解き,その作品の探偵役(つまりは作者)を出し抜いて,より早く,かつ論理的に真相に至ろうとする読み方です。いわば「騙されないぞ」と身構えて読むわけです。当然,作者の方もまた「騙してやるぞ」という気持ちで作品を書き,その典型的な例が「読者への挑戦状」という,作者と読者とのゲームになるわけです。
 そういう「目」で,この作者の作品を見た場合,この作者ほど,「油断ならない」作家さんはおられないと思います。なんてことのない情景描写のワン・シーン,他愛のない会話の中のワン・フレーズの中に,謎解きにいたる伏線が埋め込まれています。それはたとえば,子どもが河原で,キャッチ・ボールをするシーンであったり,紗英が圭介に,歩道橋から転げ落ちた老人を目撃したときのことを話す会話であったり,ときに足元に伸びる影の描写でさえあったりします。「まさか,こんなところに!」としか言いようのない部分に,じつにさりげなく,かつ巧妙に伏線が張られています。ですから,上に書いたような「作者との対決形読み」で,この作品を読もうとするならば,疲れること,このうえないでしょう。

 しかし,この作者の作品を「楽しむ」「味わう」ためには,そのような「読み方」ほど似合わないものはないでしょう。むしろ「作者の術中にはまること」こそが,この作品の,おそらくもっとも適切な「読み方」なのではないかと思います。作者が紡ぎ出す描写や比喩,会話のひとつひとつを楽しみながら,味わいながら読み進め,それらに隠された「もうひとつの意味」が解き明かされることにより,素直に驚く――そういった「読み方」にこそ,この作者の作品の魅力が感じ取れるのではないでしょうか。
 もちろん「騙される快感」は,ミステリ作品一般に通じる楽しみのひとつです。けれど,この作者の作品の場合,騙されることによって生み出される「新たな世界」が,登場人物たちにとって「癒し」となり,「再生」になっている点が,その最たる魅力と言えましょう。それゆえ,読者にとっては,「騙される」というより,むしろ「新たな世界」の誕生に立ち会ったような清々しさ,爽やかさを感じることになります。さらに,ときに胡散臭さを感じてしまう「いいこと」「いい人」ばかりで埋め尽くされることなく,人の弱さや醜さに対する,きっちりとした,しかしやさしさに満ちた視線を向けているところも,その爽やかさを,より味わい深いものにしています。

01/03/23読了

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