東野圭吾『天空の蜂』講談社ノベルズ 1997年

 「世の中には,ないと困るが,まともに目にするのは嫌だってものがある。原発も結局は,そういうものの一つってことだ」(本書より)

 自衛隊の新型大型ヘリコプタ“ビッグB”が遠隔操作で盗まれた。工場を飛び去ったヘリは敦賀に現れ,高速増殖炉“新陽”の上空でホバリングをはじめる。そして“天空の蜂”の名の下に送られてきた脅迫状「日本中の原発を停止しなければ,ヘリを“新陽”に落とす」 しかもヘリには誤って乗ってしまった子供がいる! はたして子供は救出できるのか? ヘリの落下は阻止できるのか? そして犯人の真の意図は?

 原発が作り出す電力は,現在の日本の消費電力の40%を占めているそうです(九州電力のCMでもそんなことを言ってます)。もちろんそれは,“自然に”40%を占めるようになったわけではなく,政府と電力会社の“意図”のもとにそうなったのであって,「だから原発は必要なんだ」という言い方はフェアではないと思いますが,それでも現実に日本の電力が原発に大きく依存していることは否めないのでしょう。作中の原発所長が言うように,火力発電の燃料である石油を海外に頼っている日本の国情というのもありますでしょうし。しかし一方,チェルノブイリ原発事故,“もんじゅ”(この作品の“新陽”のモデルですね)の事故と動燃による事故隠し,原発建設をめぐる巻町の住民投票,そして阪神・淡路大震災の衝撃などなど,ここ数年で,政府や電力会社の言う“安全神話”が大きく揺れ動いています。このことも作中で,これまでの安全性の強調ゆえに,避難勧告は出せない,という自治体の苦しい対応の描写に出ているように思います(もっともこの作品の初出は“もんじゅ”事故以前のようですから,その点では先取りしているのかもしれません)。そしてなにより,冒頭に挙げた一文。三原順の『Die Energie 5.2☆11.8』という,やはり核ジャックを扱った作品の中に「食卓に並ぶ料理は好んでも,屠殺場は好まない人々は多い」というセリフが出てきます。この作品は,原発関係者,反原発派,そして犯人の姿を追うことで,わたしたちの現在の生活を支えているものの正体(それは屠殺場であり,原発でもあるわけです)を見つめることの必要性をテーマとしているのでしょう。

 さて物語は,ヘリの落下を阻止しようとする原発所員やヘリ製作の担当者,犯人を追う警察,そして犯人と,複数の視点を交互に入れ替えながら,アップテンポに展開します。また途中にヘリに乗っている子供の救出劇をはさみ,ストーリー半ばに“山場”をもうけるなど,サスペンスモノや冒険モノの定石にのっとったような展開という感じです。ただこの手の「ハイテク」を扱った作品の一番の難しい点は,そういった読者があまり共有していない(と思われる)知識を,ストーリーを停滞させることなく,どれだけすんなりと描き込むか,ということなのでしょうが,この作品の場合,そこらへんがちょっと「中だるみ」になってしまっている感があります(こういうところ,真保裕一なんかが抜群にうまいんですけどねぇ)。とくに“ビッグB”からの子供救出シーンで,よくわからない装備が多かった(笑)。まあ,背表紙の惹句にありますように「著者初の冒険小説!」というところもあるんでしょうが・・・・。でもこの作者はもともと映像的な描写に優れている作家さんだと思いますので,次回同じようなテイストの作品を書くようなことがあるならば,きっと,もっとおもしろい作品を書いてくれるんじゃないかと思います。

97/11/09読了

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