若竹七海『スクランブル』集英社文庫 2000年

 「戻りたいと思いますか」
 「思うわよ,しょうっちゅう。でも,そうね,いまの自分のままならいいけど,高校生のときの自分に戻ったら,ただしんどいだけでしょうね」
(本書より)

 高校時代の友人の結婚披露宴の席上,“わたし”は,15年前,自分たちが通っていた女子校で起こった殺人事件,未解決のままの殺人事件の真相に気づく。犯人は,今,金屏風の前に座っている・・・

 もちろん,男であるわたしが,本作品の舞台となっている女子校の生活風景が,リアルなものなのかどうかはわかりません。しかし,本編の登場人物たち―彦坂夏見・貝原マナミ・五十嵐洋子・沢渡静子・宇佐春美・飛鳥しのぶ―の行動とセリフから描き出される感覚には,共感を覚えます。いや,正確に言えば,現在のわたしが共感を覚える,というより,今の自分が高校時代を振り返ったときに,「あ,そう感じていた,そう思っていた」という共感です。作者自身が,高校生活を離れ,ある程度,第三者的な目で「女子高生」を捉えられるスタンスに立っています。つまり「回想された高校時代」に対する共感とも言えます(作者とほぼ同世代であることも,より親和性を高めているように思います)。
 ですから,たとえば,もし高校時代の自分がこの作品を読んでも,果たして,どれくらい共感を覚えるかは,なんとも判じようがありません。むしろ冒頭に掲げたようなセリフ―「戻りたいと思いますか」という高校生の質問に対する教師の答―の方が,より現在の感覚に近いでしょう。

 さて物語は,高校時代の友人たちが一堂に会した結婚披露宴の風景―「1995年」と,彼女たちの高校時代―「1980年」が交互に描かれながら展開していきます。
 冒頭,結婚式において,15年前の未解決だった殺人事件の真犯人が,「金屏風の前にいる」と告げられます。しかし語り手は不明であり,また誰が新婦であり,誰が客なのかは明示されません。そして,メインとなる「1980年」の高校時代の事件―密室状態のトイレで起きた殺人事件―が語られていくわけですが,冒頭に書かれたように,登場人物のひとりが真犯人であることが匂わされているので,読者としては,「そういった目」で読み進めていくことになります。作者は,当然,それを想定し,「1980年」の視点を,リレー方式に変えていくとともに,その途中に「エピソード」として挟まれる披露宴シーンで,客たち,つまり「金屏風の前に座っていない」人物たちを少しずつ明らかにしていきます。いわば全編が,消去法によって,しだいしだいに容疑者が絞られていくプロセスとなっていて,いやがおうにも,緊迫感がジリジリと盛り上がっていきます。心憎いばかりの巧緻さと言えます。
 さらにメインとなる殺人事件の展開を追いながら,そこに「小ネタ」を挿入していきます。たとえば「弁当連続盗難事件」であったり,養護室での「毒物混入事件」であったりします。そんなエピソードを通じて,上に書いたような高校時代の感覚を浮き彫りにしていきます。その点,ミステリであるとともに,秀逸な青春小説でもあります。

 プロットといい,ストーリィ・テリングといい,またキャラクタ描写といい,まさに「若竹節」が十分に発揮された作品といえましょう。

00/11/15読了

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