若竹七海『水上音楽堂の冒険』東京創元社 1992年

 大学に合格し,高校卒業を目前に控えた荒井冬彦は,去年の夏に起きた事故の後遺症で,記憶混乱に悩んでいた。そんなおり,彼の通う高校の水上音楽堂で殺人事件が発生。そして密室状況に近い殺害現場の鍵を握るのは冬彦のあやふやな記憶だった。はたして冬彦は犯人を目撃したのか?

 フクさん@UNCHARTED SPACEから,「22,223アクセス記念(前後賞)」でいただいた5冊のミステリのうちの1冊です。フクさん,ありがとうございました(_○_)。

 物語の冒頭,ふたつの謎が提示されます。ひとつは主人公“ラスカル”こと荒井冬彦の記憶混乱をめぐる謎です。自転車にぶつかり,頭を打って脳震盪を起こして以来,彼は記憶の混乱―やってないことをやったと思いこみ,あるいはしたことを忘れてしまう―に悩みます。いったいどれが正しい記憶なのか?
 その謎は,もうひとつの謎とも密接に結びつきます。密室状況で起きた殺人事件,それが本当に「密室」だったのかどうかは,彼の記憶にかかっています。彼の記憶が正しければ,それはたしかに密室状況であるけれど,彼自身,自分の記憶に自信がない。しかも密室状況であれば,殺人容疑者として逮捕された親友・坂上静馬を救うことはできない・・・
 ストーリィは,このふたつの謎があざなえる縄のごとく絡み合いながら進んでいきます。そこらへんのミステリとしての展開は巧妙で,メリハリがあり,楽しめました。そして両者の謎が解かれるとき,二転三転しながら,“真相”が明らかになるわけですが,その“真相”はというと,むちゃくちゃ後味の悪いものです。
 高校生や大学生を主人公として,ミステリ的要素とともに,彼らの生態や行動を描いた作品を「青春ミステリ」と呼びます。この作品もまた,そんな「青春ミステリ」のひとつと言えるのでしょうが,ここで描かれている「青春」は,そのダークサイド―未熟さ,苛立ち,驕慢さ,そしてそれらから派生する攻撃性,残酷さ,その結果としての「とりかえしのつかないこと」など―がクローズアップされているように思います。正直,なぜ“真犯人”がその殺人を起こしたのか,という動機について,あまりに身勝手で,あまりに幼稚で,うんざりします。また一方,ラスト直前に起きる“事件”をめぐっても,その着地点は,やりきれません。
 たしかに「殺人」という行為が,(快楽殺人者はともかく)それを起こす本人にとっては,「それ以外に方法はない」という,切羽詰まったものではあるのでしょうが,この作品での「動機(あるいは言い訳)」は,作中に出てくる「ひでくん」とどれほどの違いがあるのでしょうか? 
 しかしそれもまたやはり(わたし自身もかつては(今でも?)抱え込んでいたであろう)「青春」のひとつの「顔」なのかもしれません。

 ところで巻末の野崎六助の「解説」(?)は,何が言いたいのかよくわからない文章ですね(たとえば,「これ(日本探偵小説の空前のブーム―引用者)は,ライジング・サン神話の頂点を極め,経済覇権をなしとげた一国家の資本主義自転システムが内に蓄積した文化エントロピーの奇妙に肥大した一側面ともいえるだろう」って,どういう意味なんでしょう?)。

98/12/05読了

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