結城昌治『仕立屋銀次隠し台帳』中公文庫 1983年

 「召集令状が一枚の紙きれだったように,戦死公報も一枚の紙きれだった」(本書「猫半の古傷」より)

 舞台は明治30年代の東京。その名が全国に鳴り響いたスリの大元締め仕立屋銀次と,その配下の子分たちを主人公とした連作短編集です。計8編を収録するとともに,巻末に歴史雑誌『歴史と人物』に掲載した「実説・仕立屋銀次」というエッセイも,あわせて収められています

 本作品の舞台となった明治30年代は,国家が近代化して久しいにもかかわらず,刑事警察の方面ではいまだ旧幕時代の因習が残っており,警察とスリとが「持ちつ持たれつ」の関係,今風に言えば,思いっきり「癒着」している,スリ業界にとっては,天国のような時代です。なにしろ,配下の者の1日の「仕事」の内容と,警察からの被害報告をつきあわせて,配下の者がピンハネしていないか調べるというのですから,恐れ入ります。その合理的な「労務管理」は,ある意味「近代化」しているといえるかもしれません^^;;

 さて本集に収められた8編には,3つほど特色があるかと思います。
 まずひとつめは,銀次を探偵役としたミステリ的趣向です。その色合いが強いものとしては,配下の千代吉が,「上がり」をピンハネしているという疑惑がかかる「第一話 眼細の安吉恋の中抜き」,心臓をひと突きされた殺されたデコ政をめぐる謎解きを描いた「第三話 デコ政の死」,銀次のお膝元・入谷の朝顔市で起きたスリ事件を発端として起こる連続殺人「第八話 南無妙法華の鉄五郎」といったところでしょう。いずれも,さりげなく引かれた伏線が,ラストで効いてくるところが巧いですね。個人的には「デコ政の死」が楽しめました。
 ふたつめは,時代小説にも通じる,一種の「人情話」的なテイストです。いくら警察と癒着しているとはいえ,やはりスリは犯罪者,社会のアウトサイダであり,底辺に住む者たちです。それゆえの哀しみを描いたエピソードもまた見られます。ただしけっして「お涙ちょうだい」ではない,苦味の効いているところが,ハードボイルド小説も得意とする,この作家さんらしいところでしょう。たとえば「第二話 けむ秀と万年小町」は,惚れた女のために堅気になるも,そのために彼女を助けられないというジレンマが描かれています。しかしなんと言っても,そのテイストが出ているのが「第六話 のんべ勝の藪入り」でしょう。買った娼婦が,かつて別れた妻の連れ子。事情を聞くと,なけなしの金をすられたことが原因だという…という内容。「因果はめぐる小車」ではありませんが,スリであるがゆえに,その怒りのもって行き場がない哀しみを,淡々としたタッチで描いています。
 さて3つめは,作者の時代認識です。この作者は,反戦ミステリ『軍旗はためく下で』直木賞を受賞していることからもわかりますように,戦争に対するシビアな批判的な視点をつねに持っています。日露戦争(1904年)でわき上がる時代を舞台にした本編でも,その視点は失われません。「第四話 死ぬな下駄清」では,脱走兵がストーリィに絡み,また「第六話 豚花の千人針」でも,戦争で引き裂かれる若い夫婦が登場します。そして「第七話 猫半の古傷」は,戦争で父親を失った少年が,貧しさの中でスリから金をすろうとするところから始まります。上にかいた「人情話」と同様,作者はむしろ淡々と戦争と庶民生活との関わりを描いていきます。しかしそれゆえに,戦争の愚かさと無惨さを,スリという社会のアウトサイダの視点から浮き彫りにしているように思えます。

03/08/13読了

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