小池真理子『死に向かうアダージョ』双葉文庫 1997年

 不倫関係の二宮多門と早川千尋。ふたりは魅入られたように死を想い,雪山の山小屋で心中しようとする。睡眠薬を飲んで眠った千尋を,多門が絞め殺し,多門も首をつって死ぬはずだった。しかし突如,多門の妻・久里子が山小屋に現れたことから,事態は想わぬ展開を見せ・・・。

 映画『ターミネーター2』で,主人公リンダ・ハミルトンが夢を見るシーンがあります。公園で遊ぶ子どもたち。リンダは金網越しに彼らに警告を発します(といっても実際にはサイレント・シーンです)。「もうすぐ核戦争が起こる! 逃げろ!」と。しかし子どもたちには彼女の声が聞こえず,ただ無心に遊ぶばかり。リンダは,未来を知っているがゆえに,あまりにもどかしく金網を揺すります。と,一瞬の閃光とともに核爆弾が炸裂。公園の子供たちもリンダも炎につつまれます。この映画の,SFXを駆使した「見せ所」のひとつです。

 なんでこんなことを書いたかというと,この場面での彼女の気持ち「知っているがゆえのもどかしさ」,これがこの作品を読んでいる最中での読者の気持ちではないかと想うからです。ことの真相は,物語の前半部で明らかにされます。しかし登場人物たちは,いずれもその「真相」を知りうる立場にありません。知っているのは読者だけ。真相を知らない登場人物たちは,懊悩し,誤解し,間違った方向に進み,困難に陥ります。読者はそんな登場人物の心理や行動を読みながら,「ちがう,ちがう,そうじゃない」「だめだ,そっちに行っても無駄だ」「そうだ,そのまま行くんだ」などなど,リンダ・ハミルトンと同様,「知っているがゆえのもどかしさ」をいやというほど味わいます。ここらへんの「もどかしさ」に対する感じ方は人それぞれのように思いますが,わたしの場合,せっかちな性格のせいもあってか,正直なところ,少々しんどかったですね。まあ,この「もどかしさ」が作者の狙いなのかもしれませんが(スリラー映画に共通する手法ですね)。タイトルの「アダージョ」というのも「ゆるやかに」という意味ですから・・・・。さて後半になると,危機に陥った主人公がどうなるのか,というサスペンスがそれなりに盛り上がります。エンディングも,伏線がちょっとアンフェアな感じもしますが,いかにもこの作者らしいツイストが効いています。ただ全体の印象としては,やはり,先に書いたような「もどかしさ」が,ちょっと冗長に感じられてしまいました。とくに途中に出てくる大学生カップルの描写が少々しつこいように思います。出てくる必然性はあるのですが,もうちょっとサクッと処理しても良かったのではないでしょうか?

 それにしても,相変わらず小池真理子の描く男というのは情けないですね。とくにこの作品に出てくる二宮多門,自意識過剰で,自己陶酔型,自己憐憫ばかりしているのは,もどかしさを通り越して,苛立ちさえ感じられます(近親憎悪?)。

97/10/10読了

go back to "Novel's Room"