白石一郎『島原大変』文春文庫 1989年

 九州を舞台にした作品4編をおさめた短編集です。

「島原大変」
 寛政四年,前年より不気味な鳴動を繰り返していた雲仙岳が噴火した! 次々と襲う土石流と津波のため,島原の城下町は壊滅の危機に瀕する…
 九州に移り住んで10年以上たちますが,本書のタイトルのもとになった「島原大変,肥後迷惑」という言葉は何度か耳にしたことがあります。そのユーモラスな語感から,この作品で描かれるほどの大災害―死者1万人以上―であったとは思いませんでした。この作品は,主人公の目を通して,その災害の有り様を迫真の筆致で描き出しています。
 またこの作品の秀逸さは,主人公に若い医師小鹿野一伯を設定したことでしょう。彼は島原出身ですが,かつて過ごした長崎での生活が忘れられず,ふたたびかの地へ行きたいと願っています。そのため,島原での生活に対してシニカルな視線を持っており,そのことが,災害に対応する人々の混乱を映し出す視点として,適当なスタンス,距離を与えているようです。しかしその一方で,彼もまた大災害の中で,これまで侮蔑していた藩医,村医の力量に瞠目するとともに,自分自身の非力さを思い知らされます。そして普段は物静かで暗い感じのする女性向井愛が,“看護婦”として一伯の助手をする姿に感動します。この物語は,雲仙岳噴火による大災害を描きながらも,悲惨さだけでなく,力強さが感じられるのは,そんな主人公の姿があるからかもしれません。
「ひとうま譚」
 殿様が山登りするために作られた奇妙な道具―“人馬”。その担ぎ手である軍蔵に出会った日から,お季の心には…
 ひ弱で,観念の世界に走りがちな学者である夫と,“人馬”を担いで黙々と山を登る軍蔵,自分自身さえ気づかぬうちに軍蔵への思いを募らせるお季。『チャタレイ夫人の恋人』を連想させる物語です。お季の秘められた思いが顕わにされるラスト,軍蔵とお季を包む夜の闇には,彼らのこれからを待つ不安と期待が,じつに見事に描写されていると思います。
「凡将譚」
 片田舎でみずからの躰にむち打つ老人は,秀吉から“豊後の臆病者”と罵られた大友義統であった…
 戦国の世を描いた物語には,“英雄”や“豪傑”,そして“勝利者”を描くものが多いように思います。しかし彼らは当然,ほんの一握りの人々であり,大半の人々は,この作品の主人公のように,凡庸であり,臆病であり,優柔不断であり,なにより平凡であったのでしょう。時代さえ違えば平穏な人生を送れたのかもしれない男の,大名であるがゆえの,戦国であるがゆえの悲哀を描いています。
「海賊たちの城」
 山間の小藩・豊後森藩の領主・久留島通嘉は,村上水軍であった祖先の島を訪れたときから,ある熱狂にとり憑かれる…
 「凡将譚」の義統とは正反対の意味で,この作品の主人公もまた,時代を間違えたのかもしれません。豪放磊落,自由闊達なキャラクタである通嘉は,先祖のごとく,戦国の世ならば英雄,豪傑と呼ばれる類のものなのでしょうが,社会が隅々まで組織化され,システム化された江戸時代では,あまりに奇抜で狂的,周囲の者たちにさまざまな悲喜劇を引き起こすものなのでしょう。それでもどこか爽快感が感じられるのは,見果てぬ夢を見てしまった者に対する,見ることのできない者の羨望があるからかもしれません。

98/12/03読了

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