小野不由美『屍鬼』上下巻 新潮社 1998年

 この感想文は,作品の内容に詳しく触れているため,未読で,先入観を持ちたくない方には,お薦めできない内容になっています。ご注意ください。

「ぼくには人と屍鬼との違いが分からないんだ」(室井静信のセリフ)

 人口1300人あまりの小村・外場。樅の林で囲まれた過疎の村に,一組の家族が引っ越してきたことがすべての始まりだった。酷暑の夏,原因不明のままつぎつぎと死んでいく村人たち。いったい村になにが起こっているのか? そして恐怖の核心がその真の姿を現すとき,村は死の影が覆われ,崩壊への坂を転がり落ちてゆく・・・。

 「To 'Salem's Lot」――冒頭,スティーヴン・キングの『呪われた町』への献辞で始まる本書は,まさにキング作品に対するオマージュに溢れた作品です。モチーフ的にもそうですが,それ以上に,ストーリィ展開,描き方など,キング作品でしばしば見られる手法を意識的に用いているように思います。
 作者は,村で起こる不可解な死と,それをめぐる村人たちの哀しみ,嘆き,困惑,そして疑惑を丹念に描き込んでいきます。それとともに村が抱え込むさまざまな軋轢や反目,齟齬―ジェネレーションギャップ,口さがない噂話,団結心と表裏をなす排他主義などなど―をもあぶり出していきます。その上巻での綿密な描写は,不気味ではありますが,いまだ恐怖へと至らない,いわば「不安な予兆」に満たされています。
 キングの描く「恐怖」を「モダン・ホラー」と呼ぶ所以が,外的な恐怖―吸血鬼,幽霊屋敷,狂犬,超能力・・・―を設定するとともに,登場人物たち―それはどこにでもいる普通の人々―の「不安」をも描き,「恐怖」と「不安」が輻輳する様を描き出すところにあるとするならば,この作品もまた,まさに「(キング的な意味での)モダン・ホラー」と呼べるのかもしれません。むしろ日本が舞台だけに,その「不安」はキング作品より切実に,リアリティを持っているように思います。

 さてこの物語のストーリィそのものは,基本的には,寒村を襲う屍鬼たちと人間たちとの闘い,というシンプルなものと言えます。もちろん上に書いたように綿密な描写が,真綿で首を絞めるような不安感,圧迫感を与えますし,屍鬼らによる外場征圧の作戦もじつに巧妙で,じりじりと追いつめられていく村人たちの姿は,緊迫感に溢れています。
 しかしそれ以上に物語に重量感を与えているのが,登場人物たちの設定ではないかと思います。共存し得ない敵対関係にある人間と屍鬼とを,作者は公平に描こうとしているようです。たとえば屍鬼が人間を襲い血を吸うのは,生きるために必要なことであり,善悪の問題ではなく,摂理の問題であると屍鬼は主張します。それは人間が家畜を殺すのと同じ意味である,と。屍鬼も人間も,ともに他者を殺すことによって生きざるを得ない存在なのだ,と。
 また屍鬼になったばかりの者が人間を襲う煩悶を,相手を「家畜」と見ることによって克服しようとするところは,クライマックスで,人間が生前知り合いだった屍鬼を殺すシーンとだぶって見えます。人間と屍鬼,それは「死」というものを間に挟んだ合わせ鏡のようなものなのかもしれません。

 作者は,そんな人間と屍鬼との微妙な関係を,僧侶でありまた作家でもある室井静信というキャラクタを設定することで,より鮮明に描き出そうとしているように思えます。静信は人間ですが,屍鬼を殲滅すること,殺戮することにためらいを覚え,屍鬼の側に組みする立場を選びます。
 静信は大学時代,自殺未遂を経験しています。自分自身の中に「死」を抱え込んでいます。それは,屍鬼によって,不本意な不条理な「死」を遂げる村人たちとは対極にいるのかもしません。いやむしろ,他者の命の犠牲の上に生きる人間とも,屍鬼とも,別のスタンスに立つのでしょう。
 人間とも屍鬼とも異なる立場に立つ静信は,ならばなぜ人間の側ではなく,屍鬼の側に立つことを選んだのでしょうか? それは彼が人間の中で異端者―みずからの「生」をみずから自身で断ち切ろうとする異端者としての意識が強いからなのだと思います。村を襲撃し,征圧する屍鬼。しかし彼らは食料となる人間の存在なくして存在しえません。屍鬼の首領・沙子は言います。「屍鬼なんているはずがない,という常識が最大の武器だ」と。それゆえ,人間が屍鬼の存在を認めたとき―常識が崩壊するとき―,屍鬼は狩られます。一見,強い立場に見える屍鬼が,じつはマイノリティでしかありえないことを静信は,いち早く知っていたのかもしれません。
 人間の異端者である自分(静信)と,神から見放されたマイノリティとしての屍鬼,そして人類最初の殺人者であるカイン。神(人間)の創った「世界」「秩序」から疎外され,見放されたものとして,彼らは肩を寄せ合い,さながら自身が鬼のごとく化して屍鬼たちを狩る人間たちの世界・秩序から逃げ出します。外場という小村が持っていた「団結心と表裏をなす排他主義」,それは人間世界すべてが持つ性質なのかもしれません。異端者を,マイノリティを排除する世界として・・・。このことは,「招待されないとその家には入れない」という,たしかドラキュラ伯爵において設定されていた属性を,巧みに換骨奪胎して説明しているように思います。

 この作品では,屍鬼という異形のモンスタを合わせ鏡に用いて,異端者としての哀しみを描き出すとともに,人間が持つ原罪―他者の命の犠牲の上に成り立つ生―をも浮き彫りにしているように思います。そういった意味で,恐怖,不安とともに,哀しみ―それも生の基盤に関わる根元的な哀しみ―を描いた作品ではないかと思います。

98/10/11読了

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