逢坂剛『斜影はるかな国』朝日新聞社 1991年

 スペイン留学中の花形理恵は,ふとしたきっかけからバスク解放運動の過激派組織ETAと,それに対抗する非合法暗殺組織GALとの暗闘に巻き込まれてしまう。一方,東和通信社の記者・龍門二郎は,スペイン内戦の際,反乱軍に加わった日本人の足取りを求めてスペインに飛ぶ。偶然マドリードで合流した彼らの前には,内戦中に行方不明になった金塊の謎が浮かび上がり,そしてそれは龍門の出生の謎へと結びついていく・・・。

 半世紀前のスペイン内戦と,バスク独立運動で揺れる現在のスペインとを結びつけるのは,逢坂剛の“スペインもの”のひとつのパターンといえますが,わたしはこれまで,スペイン内戦と現代が「時を超えて」関係してくるサスペンスと理解していました。しかし内戦で成立したフランコ政権が,その後40年近くスペインを支配していたことを考えあわせれば,両者は「時を超えて」結びついているのではなく,ひとつの連続した歴史なのです。ですからこの作者がしばしば描くスペイン内戦をめぐるエピソードは,けっして「歴史上の秘話」といった類のことではなく,当たり前と言えば当たり前ですが,まさに「現代史」そのものなのだと,本作品を読んで,改めて気づきました。

 さて物語は,複数のストーリィが錯綜しながら進みます。龍門の追う日本人義勇軍兵士“ギジェルモ”,その調査の過程で浮かび上がるふたりの日本人兵士リカルド・ニシムラとマリア・ニシムラ,彼らは龍門の祖父母なのか? また内戦時,共和国からスターリンに委託される金塊が一部が,ソ連秘密警察の幹部によって隠匿され,その金塊を探し出そうと,冷酷な暗殺者“マタロン”が龍門らの周囲に出没します。金塊はいったいどこに隠されているのか? 謎の日本人“ギジェルモ”を中心に,さまざまな謎や謀略が渦巻きます。
 また花形理恵が巻き込まれた暗殺事件は,一方でマタロンに結びつきつつ,現在のスペインが抱え込むテロリスト同士の抗争とその暗部を浮き彫りにしていきます。脇役ながら,治安警備隊のクレメンテ少佐と,その部下バルボルティン刑事が,なかなか渋い味を出しています。
 現在のストーリィを複数の登場人物の視点から描き出し,さらに内戦時のエピソードを適宜はめ込みながら,緊張感を持続しながら展開させていく手法は,この作者の十八番といった感じで,手慣れたものといえましょう。また登場人物が一癖も二癖もあり,つねにミステリアスな雰囲気を匂わせているところも魅力的です。そして後半,絡み合った謎が二転三転とその姿を変え,真相が明らかにされていく展開は,読み応えがあります。とくに“ギジェルモ”をめぐる謎が解け,物語が一段落したと思いきや,もうひとつ奥底に隠された真相が明らかにされるところは,他の逢坂作品によく見られるパターンとはいえ,ときおり感じられる唐突感を感じさせず,巧みに展開させているように思います。
 さらに龍門と元恋人・冠木千夏子とのラヴロマンスは,物語を彩る単なる“花”と思っていたのですが,ラストになって,それがメイン・ストーリィと一気に結びつくあたり,話作りの上手さを感じました。逢坂作品のラヴロマンスは,しばしば後味の悪い結末を迎えることがありますが,この作品では,必要以上に主人公を虐めるようなことはなかったので,その点でもよかったです。クライマックスで,一瞬「ああ,またか」と不安にさせるシーンがあったんですけどね(笑)。
 おそらく多くの日本の読者にとって,あまり馴染みのないスペイン現代史を舞台としつつ,さらに錯綜した謎に満ちたストーリィを,ラストまでぐいぐいと引っ張っていく作者の筆力を,十二分に感じました。
 逢坂作品としては,『百舌の叫ぶ夜』と並んで,存分に楽しめた作品でした。

 なお本作品は『このミス'92』で第7位になっています。

98/03/22読了

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