ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』東京創元社 1995年

 母親と妹を惨殺した罪で服役中のオリーヴ・マーティン,通称“彫刻家”。彼女の本を書こうとするフリーライタ,ロザリンド・リーは,オリーヴとのインタビュウを通して,彼女が本当に殺人者かどうか疑問を抱く。そして再調査の過程で,事件の輪郭はしだいにその形を変え始め・・・

 トマス・ハリス『羊たちの沈黙』が持っている,それこそ掃いて捨てるほどある「サイコ・キラーもの」と異なる魅力のひとつは,「犯罪者」と「刑事(探偵役)」との双方向的な関係を描いた点にあるのではないかと思います。「探偵」と「犯罪者」とが,「追う者」と「追われる者」という一方向的な関係ではなく,主人公が抱えるトラウマやトラブルが,犯罪者によって癒され,超克され,再生していく,というプロセスを描いた点にあるのではないかと思います。
 この作品もまた,「犯罪者」とのコミュニケーション,犯罪捜査を通じて,過去を克服し,新たな人生を踏み出す女性主人公の姿を描いています。

 さて本書の主人公,フリーライタのロザリンド・リーは,かつて事故で娘を失うという暗い過去,トラウマを抱え,元夫に憎しみを燃やす女性です。エージェントからせっつかれて,しぶしぶながらオリーヴ・マーティンの取材を開始します。オリーヴ自身の印象と,彼女の弁護士ピーター・クルー,学校の教師シスター・ブリジェット,,彼女を逮捕した元警官ハル・ホークスリーらが語るオリーヴのキャラクタは,ときに整合し,ときに矛盾します。そして再調査の過程で浮かび上がる小さな謎や未解決点。
 作者は,その調査の過程をふたつの異なる可能性を示しながら,緊迫感をもって描いていきます。事件をめぐる謎や矛盾点が,主人公によって明らかにされ,事件は異なる様相を呈し始めます。オリーヴの証言と検視結果との間の矛盾,犯行時におけるオリーヴの心理状態をめぐる医師と周囲の証言との齟齬。誰もが疑わなかった殺人事件には,別の真相があるのではないか? 真犯人は別にいるのではないか? という可能性が示されます。
 一方,主人公は不安定な心理状態にあります。オリーヴという独特の,強烈なキャラクタを前にして,彼女に依存するかのような心理状態で調査をすすめます。それゆえ,もしかすると「ロザリンドはオリーヴによっていいように操られているのではないか?」という可能性が匂わされます。それは,途中に獄中のオリーヴに関する短いシーン―謎めいた意味ありげなシーン―を挿入することで,より効果が高まっています。
 真犯人はオリーヴなのか? それとも別にいるのか? 主人公の心の揺れ動きと重ね合わせながら,このふたつの別方向のベクトルの間で,物語はサスペンスフルに進んでいきます。さらにそこに,ミステリアスな元刑事ハルとのラヴ・ロマンスを絡めてきます。ここらへん,よくある「キャラクタ作り」的なエピソードかと思いきや,終盤においてメインの謎と結びつけてくるところは,なかなか巧みなストーリィ展開と言えましょう。

 ふたつの可能性のどちらに着地するかは,ネタばれになるので書きませんが,紆余曲折の末にロザリンドがたどり着く結末は,彼女の再生を示すさわやかなものではありながらも,どこかほろ苦く,そして不気味さも漂わせたものです。個人的には,その「不気味さ」をもう少し,ねっとり書いてもらえると,より好みだったように思いますが,ぐいぐいと一気に読み通せる佳品だと思います。

 なお本書は,「MWA最優秀長編賞受賞作」であり,「このミス'96」海外部門の第1位作品です。

98/07/11読了

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