原ォ『さらば長き眠り』早川書房 1995年(^o^)

 400日ぶりに東京に戻った“私”沢崎を待っていたのは,元高校球児・魚住彰だった。彼は,11年前の甲子園で八百長の疑いをかけられ,その渦中で自殺した姉・夕季の死に疑問を抱いていた。沢崎が魚住と出会った矢先,魚住はなにものかに襲われる。彼から正式の依頼を受けた沢崎は,彼女の死の再調査を開始する・・・。

 「沢崎シリーズ」の長編第3作です。『さらば愛しき女よ』『長いお別れ』『大いなる眠り』……レイモンド・チャンドラーの小説のタイトルを(文字どおり)足して3で割ったような表題は,作者のチャンドラーへの思いが如実に現れているように思います。
 さて“謎の依頼人さがし”から始まる本作品は,冒頭からミステリアスな雰囲気にあふれています。沢崎が依頼人である魚住彰に直接会う前に,魚住がかつて甲子園で八百長疑惑をかけられたこと,その渦中で姉が自殺したこと,などなどが沢崎の調査で明らかにされていき,依頼人とその姉の死をめぐる謎が,いやがおうでも,読者を物語世界へと引きずり込んでいくように思えます。そして沢崎の調査の過程で浮かび上がるさまざまな疑惑や矛盾。魚住夕季の自殺証言は信用できるのか? 魚住彰を襲ったのは,姉・夕季の死の真相を明らかにしたくない人物なのか? なぜ彰は姉の死に疑問を抱くのか? さらに1枚のチケットが,沢崎を,能楽・大築流の家元のもとへと導いていきます。甲子園の野球賭博と能楽の名家とは,いったいどこで関係するのか?
 このあたり,“謎”の出し方がなんともうまく,ハードボイルド小説でしばしば陥りがちな単調なストーリー展開を回避しているように思います。もっとも11年前の事件にしては,関係者の記憶がしっかりしすぎているような気がしないでもないですが(笑)。沢崎が最後にたどり着く“真相”も意外性があって,ミステリとしてもけっこう楽しめます。
 そして結末では,さまざまな思惑と欲望のために,錯綜させられ,隠蔽されてしまった若い女性の哀しみを浮き彫りにされていきます。その底に潜む真相を明らかにするということは,同時に,ひとりの女性の死の上に築かれた“砂上の楼閣”が崩壊していくことをも意味しています。魚住彰は,エンディングで言います。「その後会った誰もが,小さな石の置かれた場所がおかしいからそれを動かそうとして,大きな土砂崩れを起こしてしまった馬鹿な男を見るような眼で,ぼくを見ている」と。しかし最初から「おかしな場所に置かれた石」によって支えられているものというのは,きっといつかは崩れてしまうものなのでしょう。ただ残念ながら,ひとはその石が「おかしな場所」なのかどうかは,なかなかわからないものなのでしょう,ときとして置いた本人であってさえ・・・。

 この作品では,メインストーリーとともに,もうひとつ,沢崎の“空白の400日”が,魅力的な謎として描かれています。それは,このシリーズ最初からの謎,かつては沢崎の共同経営者でありながら,いまや警察と暴力団に追われる身となっている「渡辺」の謎です。“空白の400日間”沢崎は,関西やら九州やらを飛び回っていたようですが,どうやら「渡辺」に絡んでいるようです。今回はあくまで“小出し”程度ですが,次回作は,いよいよ沢崎と「渡辺」との関係が描かれるのでしょうか? 楽しみです。

97/08/31読了

go back to "Novel's Room"