ジョン・ル・カレ『寒い国から帰ってきたスパイ』ハヤカワ文庫 1978年

 東ドイツ諜報部のムントによって,諜報網を壊滅させられたイギリス諜報部のアレック・リーマスは,ムントを陥れるための周到な作戦を計画する。順調に進む作戦,リーマスはムントを失脚にまで追いつめたかに見えたが,そこには恐るべき冷酷な罠が待ち受けていた・・・。

 「スパイ小説の古典的傑作」と呼ばれている作品です。以前読んだときは途中で挫折してしまったのですが,今回改めてチャレンジしたところ,こちらの嗜好が変わったのか,キャパシティが増大したのか,単に節操がなくなったのか(笑),なかなかおもしろく読めました。

 舞台はおもに冷戦下のドイツ,ベルリンの壁が東西を分断し,東西ベルリンでは,西側スパイ,東側スパイが暗闘を繰り広げています。そこには,絶体絶命のピンチを,超人的な力量と臨機応変の機知で突破する“ジェームズ・ボンド”のようなスパイの姿はありません。作中しばしば「ゲーム」という言葉が使われているように,ここで描かれるスパイは,チェスの盤上の“駒”に等しい存在です。ロンドン,ベルリン,モスクワといった“頭脳”が作り上げた作戦をいかに忠実に正確に遂行するか,それのみが求められます。操られ,騙され,裏切られ,そして不要になれば捨てられる消耗品でさえあります。主人公は次のように言います。
「卑劣,醜悪な作戦だったことはまちがいない。だが,その効果はあった。それだけが,おれたちにとって唯一の法則なんだ」
 しかし言うまでもなく,スパイたちもまた人間です。みずからを“駒”と割り切っていたとしても,そこには弱い部分,哀しい部分が忍び込みます。そしてスパイの論理は,その“人間性”さえも利用し尽くします。ただ単に人間性を否定するのではなく,本人の気づかないうちに利用すること,そこにこの作品が描き出す世界の狡猾さと非情さが如実に現れています。

 またこの作品では,「正義」と「悪」という単純な図式も拒否しています。西側対東側のスパイたちの闘いは,「正義」対「悪」の闘いではありません。「自由主義」対「共産主義」の闘いでさえありません。どちらも「全体のために個人を犠牲にしてもかまわない」という強力なシステム同士の闘いとして描き出されています。物語の冒頭,イギリス諜報部の“管理官”は言います。
「われわれの仕事の倫理は,わしの理解するかぎり,ただひとつの仮定の上に成り立っておる。われわれは侵略者として行動しているのではないということだ」
 この物語は,この「仮定」が単なる「仮定」でしかないこと,いやその「仮定」さえも成り立ちうるのかどうか不明であることを描き出しているのだと思います。

 ヒーローでもスーパーマンでもないスパイたち,利用したつもりが利用され,裏切ったつもりが裏切られ,味方は敵に,敵は味方に容易に入れ替わる,孤独で無力なスパイたちの姿は,「効率」という名の下に弄ばれるわたしたち自身の姿にどこか通じる部分があるのかもしれません。

98/08/18読了

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