桐野夏生『錆びる心』文春文庫 2000年

 6編をおさめた短編集です。

「虫卵の配列」
 久しぶりに会った内山瑞恵は,“私”に,演出家との恋を告白し…
 恋の渦中にある者は,ときとしてみずからを「物語の主役」になぞらえたくなります。内山瑞恵にとって,大嫌いな「虫卵の配列」とは,そんな「主人公」になれない自分に対する嫌悪感だったのかもしれません。そんな彼女の狂気を,「虫卵の配列」と「観客席」のイメージをオーヴァラップさせて描き出すところは,じつに巧いですね。ストーリィ・テリングも秀逸です。本作品集で一番楽しめました。
「羊歯の庭」
 画家を目指す池上順平が,かつての恋人・西村秋子と再会したことから…
 いつの頃か,「言い訳」が増えていく自分に気づくときがあります。そして気づくと,その「言い訳」に足元をしっかりと緊縛され,身動きひとつとれなくなっています。身動きをとれないことに対しても,新たな「言い訳」を塗り重ねながら・・・男にとって「自殺のあった家」とは「言い訳」だったのかもしれません。
「ジェイソン」
 久しぶりのひどい宿酔いで目覚めた朝,妻は姿を消していた…
 ブラックなユーモアをたたえた1編です。サイコ・サスペンスなどで見られる「見知らぬ自分」との直面を,「飲酒」という日常的な慣習と絡め合わせて描いています。どこか,ぐっしょりと濡れた椅子に間違って座ってしまったときのような「居心地の悪さ」が感じられます。
「月下の楽園」
 廃園を愛する宮田は,神崎家の庭に,どうしようもなく心ひかれ…
 江戸川乱歩か,赤江瀑を彷彿させる,この作者にしては珍しいテイストの作品ではないでしょうか。「滅びたもの」への愛着は,ときとして愛したものの滅びをも招き寄せるものなのかもしれません。ただラストの一文の意味が,よくわかりません。
「ネオン」
 新宿歌舞伎町の一角を縄張りとする桜井組に入りたいという奇妙な男がやってきて…
 上昇志向の強い,小さな組の組長の「空回り」を描いています。「おまえらとは違うんだ」と自負を抱いていた男が,あることをきっかけに,自分の「小者ぶり」に気づくラストは,苦笑を誘うとともに,やるせない雰囲気も漂っています。
「錆びる心」
 10年間の息苦しい夫との生活を捨てた絹子は,とある旧家に家政婦として勤めることになり…
 主人公にとって充実した日々を送る「家庭」の奥底に眠る悪意が明らかになるラストはショッキングです。さらにそこに,主人公の心の内を響き合わせるところはいいですね。「悪意」とはなんなのか? そんなことを考えさせる作品です。

00/12/06読了

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