白川道『流星たちの宴』新潮文庫 1997年

「空っぽから作り出す。そんなところに惹かれる妙な性分があるようで,いささか自分でも困ったものだと思うことがあります。」

 株の仕手集団“海田グループ”の崩壊時,友人を裏切り,司直の手を逃れた梨田雅之。1年間の放蕩の末,無一文になった彼は,ふたたび株の世界へと身を投げる。裏切り,自殺した友人の“夢”を実現するために・・・。

 「夢とは,限定された状況において,特殊化された目的のことである」というような言葉を,どこかで読んだことがあります。“1シーズン,ホームラン50本”というのは,プロ野球選手の“夢”ではあっても,作家の“夢”にはなりません。同様に“ベストセラー”もまた,プロ野球選手の“夢”にはなりません。株や相場に関して,知識も関心も欠け,ニュースに出てくる「TOPIX」という言葉さえ,いまだによく理解できないわたしにとって,この作品で描かれている,“相場をつくる”という“夢”というのは,正直なところ,ピンときません。しかし,そういった“夢”を“実感”することはできなくとも,“共感”できる部分というのは,やはりあるようです。冒頭に引用した主人公の言葉,「ゼロからなにかをつくりだす」という“夢”は,たとえ株や相場といった「限定された状況」を知らなくても,さまざまな分野に共通するものなのかもしれません。ただ,この作品で描かれる世界の「ゼロからなにかをつくりだす」という“夢”には,どこか虚ろな響きがあるような気がしてなりません。この物語には,主人公を含め,株や相場をめぐってさまざまな登場人物が出てきます。一癖もふた癖もあるその人物たちは,それはそれで魅力的なのですが,それとともに,そういった世界からは離れたキャラクタたちも随所に顔を見せます。作家志望の日々原,建築家の朝秀,恋人で画家を目指す理子。主人公の雅之は,彼らに対して憧憬とも負い目ともつかぬ複雑な感情を持っているように思えます。「ゼロからなにかをつくりだす」という言葉は,彼らの行為にこそ適した言葉なのではないでしょうか? 雅之もまたそれを知っているがゆえに,自分の「ゼロからなにかをつくりだす」という行為が,結局は右のものを左に動かす行為にしか過ぎないことを知っているがゆえに,株や相場に“夢”を持ちつつ,金そのものに対しては,淡泊で,醒めた,一種投げやりな態度を取っているのではないでしょうか? そういった主人公の“夢”の虚ろさが,この作品全体の,乾いたもの哀しいトーンになっているように思えます。

 なお顔マークが(-o-)なのは,先にも書きましたように,この世界に対する関心の低さに由来するものと思ってください。

97/08/13読了

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