服部真澄『龍の契り』ノン・ポシェット 1998年

 1982年,ロンドンの火災現場から消えた一通の文書。そこには,香港返還にまつわる重要機密が記されていた。焼失したと思われていたその文書は,しかし,返還を5年先にひかえた1992年,ふたたび姿を現した。いったい文書には何が記されているのか? 文書をめぐって各国の情報機関が動き始める。そして文書の真の所有者は何者なのか? その意図は?

 もうずいぶん前に読んだので記憶があやふやなのですが,ジェフリー・アーチャーの『ロシア皇帝の密約』という作品は,かつてアメリカがロシアから二束三文で買ったアラスカをロシア(当時のソ連)に返さなくてはならないという内容の記された機密文書をめぐるスパイ・サスペンスでした。この作品はいわばその「香港版」です。
 1997年7月1日の香港返還は,やはり前世紀の世界情勢の落とし前をつける,ひとつの歴史的事件だけに,多くの作家のインスピレーションを刺激するものがあるのでしょう。本作品では,「じつは香港は中国に返さなくてもいいという密約が存在していた」という設定のもと,その機密をめぐって,さまざまな人間たちの思惑や欲望が入り乱れながら,ストーリィは展開していきます。
 ヨーロッパ・アメリカの政治経済を裏から支配する「ゴルトシルト財閥」のマネー・ロンダリングを追う日本外務省の沢木喬,上海香港銀行の「裏側」を探る『ワシントン・ポスト』の契約記者ダナ・サマートンと,天才的ハッカーのラオ,機密文書を持っているらしい謎のハリウッド女優・アディールと,彼女と組む“ハイパーソニック社”の西条社長,文書奪還をはかるゴルトシルト財閥,その尖兵として派遣される謎のヒットマン<チャーリー>・・・・。
 サスペンス小説の常道として,物語は彼ら多様なキャラクタの行動や思惑を描きながら,ニアミスを繰り返し,そしてクライマックスへと収束させていきます。また中盤,上海香港銀行から機密データを盗み出そうとする「山場」をはさんだり,さまざまな謎や裏切りを要所要所でばらまくあたり,サスペンスを盛り上げる「つぼ」を心得ているようです。そういった点では,それなりに楽しめる作品だと思います。

 ただ,物語の「設定」というか,「大枠」というか,大げさにいえば「世界観」みたいなものが,どうも「薄っぺら」な感じがしてなりません。たとえば「敵」である「ゴルトシルト財閥」。先にも書きましたように,欧米の政治経済を背後で牛耳るこの大財閥は,アジアにその支配の手を伸ばします。それも100年も前から,それを計画しています。そのために香港を永久に英国領とし,また日本の経済を操作,バブルをはじけさせて,経済恐慌に導こうとします。その設定は,はっきりいって,テレビの「特撮もの」に出てくる「世界征服を企む悪の秘密結社」みたいなノリです(実際,作中,彼らは「悪魔」呼ばわりされます)。
 それに対する中国の評価は,逆に極度に理想的というか,観念的です。とくにメイン・キャラクタである沢木喬や西条社長が描く「中国像」などは,「東洋の叡知」とか「眠れる獅子」とか,抽象的な言辞に終始しています。正直,「勝手な思い入れ」と言えそうな類のものです(戦前の「大アジア主義」みたいな胡散臭ささえ感じさせます)。作中で,機密文書をめぐる当事者の片方である中国側の対応―国際政治力学の中での政治権力としての中国の対応―についての描写が,あまりに少ないのも気に掛かります。
 要するに「東洋vs西洋」みたいな陳腐な図式を用い,さらにそこに「善vs悪」というイメージをオーバーラップさせているように思えてなりません。伝奇小説やSF小説ならともかく,仮にも「国際謀略サスペンス」と銘打たれる作品にしては,あまりに単純というか,お粗末ではないでしょうか?

 ですから,サスペンス小説としてサクサク読める点では,「(^o^)」ですが,上のようなお粗末さは「(-o-)」,で,トータルとして「(~-~)」ということになりました。

 なおちなみに本作品は,『このミス'96』の第17位の作品です。

98/12/13読了

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