塩野七生『ローマ人の物語6・7 勝者の混迷』新潮文庫 2002年

 「戦争とは,それが続けられるに比例して,当初はいだいてもいなかった憎悪までが頭をもたげてくるものだ。前線で闘う者は,何のために闘っているのかさえわからなくなる。憎悪だけが彼らを駆り立てる。内戦が悲惨であるのは,目的が見えなくなってしまうからである」(本書より)

 強国カルタゴを倒し,地中海世界に覇権を確立したローマ。しかしその“勝利”は,共和制ローマを確実に変質させはじめていた。元老院への権力の過大な集中,貧富の差の拡大,ローマ軍の量的質的低下…カルタゴの滅亡を眼前にし,ローマの行く末を憂うひとりの若者が,改革の烽火をあげる。だがそれは,長きにわたる混迷と内乱の時代のはじまりだった…

 組織はその規模と密接な関係にあります。たとえば5人しかいない会社に,社長・専務・部長・課長・係長を置いても,実質的に意味はないでしょう。一方,500人の会社を社長ひとりで切り盛りしようとしたら,その会社が瓦解するのは目に見えています。またある目的のために編成された組織が,異なる目的を設定するとき,おのずから組織の体質も変えざるを得ません。
 カルタゴ亡き後のローマ−地中海世界に覇権を確立し巨大国家となったローマ,あるいはまた長期間の“戦時下体制”が常態となってしまったローマが直面したのは,そんな組織の変化を余儀なくされる事態だったのでしょう。作者は,そんなローマの混迷を,グラッグス兄弟の改革とその挫折,マリウスが敢行した軍制改革,ローマ連合の解体を告げる同盟者戦役,有名なスパルタクスの乱スッラ独裁による元老院体制の強化と,あまりに早いその崩壊,ポンペイウス登場と地中海世界での覇権の確立,と,歴史的事件と人物の行動を追いながら,その混迷の時代を描いていきます。

 ところで本編を読んでいて強く思ったことがあります。たしかに,本書で綴られる古代ローマ史は,歴史の常として,きわめてユニークなものです。登場する人物も,勃発する事件も,ローマだからこそ起こりえたものでしょう。その一方,それらの歴史を突き動かしている,さまざまな社会の変化には,日本史にも通じるものがあるように思えてならないのです。たとえば自作農の没落と大農園の出現は,古代律令国家の崩壊にともなう荘園の拡大に似ていますし,またマリウスの軍制改革によって生まれた「職業軍人」と,その「私兵化」(作者はこの言葉が嫌いなようですが)は,武家階級の台頭を彷彿とさせます。武力を背景とした権力抗争−実際に血を流し合いながらの抗争は,鎌倉幕府成立直前の源平合戦にも通じるものがあるのではないでしょうか? 
 もちろん言うまでもなく,個々の事象が似ているからといって,その結びつき方や影響関係が同じというわけではもちろんありませんし,ポンペイウスと源頼朝を同一視することは愚の骨頂でしょう。しかし,歴史を動かしていく「力」のようなものは,もしかすると,けっこう似たような部分があるのではないかな,と思いました。歴史学者が「歴史法則」を求めたくなる気持ちがわかります(笑)

 さて物語は,いよいよローマ史上最大の英雄と言われるユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の登場へと展開していきます。それはそれで楽しみなのですが,個人的にはもうひとつ関心が引かれることがあります。それはもうすぐ,ローマの属州でひとりの男が歴史に登場するからです。のちのローマ史,いやさヨーロッパ史,世界史に多大な影響を与えた人物−イエス・キリストです。作者がこの人物をどのように描くのか? こちらも楽しみです(もちろんカエサル以後のお話ですが)。

 ところでポンペイウスによオリエント平定に対するキケロの言葉−「われらがローマによって,果てしがなかった対外戦争と国内の内紛状態から,救い出された事実を直視しなければならない」って,現代のアメリカが外国にちょっかいを出すときの言い分に似ているような気がするのは,わたしだけでしょうか?

02/06/15読了

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