恩田陸『六番目の小夜子』新潮社 1998年

 生徒の間で囁かれる,“サヨコ”という名の伝説,そして3年ごとに繰り返される“行事”。今年は,その“行事”の年,「六番目のサヨコ」の年・・・。そんな高校に転校してきたひとりの美少女,名前は津村小夜子。それ以来,学校の空気は不思議な色合いに染まり始め・・・。

 リアルタイムの高校生が,この作品を読んで,どのように感じるかはわかりませんが,高校生活からはるか離れたわたしの眼からすると,高校時代が持つ,独特の「ざわざわ」した感じを,じつにうまく描き出している作品のように想います。たとえばつぎのような文章。
「学校というのは,そういったシビアなものと,牧歌的な儀式とを,同じレベルで交互に平然と消化していく。淡々とこなされていく行事のあいだに,自分たちの将来や人生が少しずつ定められ,枝分かれしていっているということに生徒たちは気付かないのだ」
 思わず「そうなんだよな,そうだったんだよな」と膝を打ってしまいます。中途半端のようでいて,どこか充足している,平凡ながら,不安定なものを抱え込んでいる,そんな高校時代,とくに大学受験を前にした高校3年生というひとときを,“サヨコ”という,いわば「学校の怪談」を絡めながら,じつに巧みに浮き彫りにしています(「都市伝説」や「学校の怪談」といった素材が基本的に好きなことも,とても楽しく読めた理由のひとつでしょう)。
 この「学校の怪談」に,さらに「学園祭」という学校における最大の「非日常」を重ね合わせるところもいいですね。
「――みんながそのことを知っている。みんながそのことを考えている。みんなが今まで,隠してきて黙っていたなにかが暴露されようとしているのに気付いている。しかし,それでもみんなそう思っていることを口に出そうとしない」
 胸躍らせながら,どこかに不安が見え隠れし,期待しつつも怖いような感じのする,あの学園祭前夜の雰囲気を,ホラーという衣をまとわせながら盛り上げています。
 そして学園祭での「六番目の小夜子」の上演シーン・・・,まさに圧巻です。じりじりと傾斜を登っていったジェットコースタが,頂点を越え,一気に奈落へと滑り落ちていくような,そんな眩暈感を感じました。
 後半,それまでに散りばめられた,さまざまな「サヨコ」と,そして津村小夜子をめぐる謎がしだいに解けていきます。
 いったい「サヨコ」とはなんなのか?
 立て続けに起こる怪異な現象が持つ意味は?
 津村小夜子は何者なのか?
 学園祭での圧倒的なクライマックス・シーンにくらべると,少々精彩に欠ける恨みはあるものの,怪異の中に秘められた「理」が明らかにされるプロセスは,テンポのいい展開と相まって,サクサクと読んでいけます。また,そんな「怪異としての理」をも飲み込むような感じで迎えるエンディングも,余韻があってなかなか楽しめました。
 結局,この物語の主人公は,そんな怪異や生徒たち,教師をも吸収し,脈々と生き続ける「学校」そのものなのかもしれません。あるいは,そんな学校を通り過ぎていった生徒たちの残した「想い」なのかもしれません。
「彼らはその場所にうずくまり,『彼女』を待っているのだ。
ずっと前から。そして,今も。
顔も知らず,名前も知らない,まだ見ぬ『彼女』を」

98/10/04読了

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