藤田宜永『理由はいらない』新潮文庫 1999年

 私立探偵の“私”相良治郎を主人公とした作品6編よりなる連作短編集です。総タイトルは「理由はいらない」となっていますが,各編,たとえば「憧れた理由」といったように,「理由」という言葉がタイトルについています。

 こういった私立探偵を主人公としたハードボイルド系の作品には,多かれ少なかれ現代の世相や病理といったものが素材として扱われたり,背景として取り込まれたりします。1996年初出の本書には,とくに「バブル崩壊後の経済不況」という状況が色濃く影を落としているように思います。
 たとえば家出をした娘を捜すよう依頼される「踊らない理由」では,家出娘と父親との確執が描き出されますが,かつては大手証券会社の副支店長をつとめた敏腕サラリーマンであった父親は,不況のため失業しています。しかし世間の目を気にする妻のために,毎朝,出社する風を装っているという設定で,そのことが娘の失踪事件に関わってきます。
 また「選ばれた理由」は,逆に,娘から失踪した父親を捜すよう依頼されますが,その父親もまた,脱サラしたものの,悪質な詐欺に引っかかり,根無し草のような生活を送っています。この作品では「年賀状」が重要なモチーフとなっていますが,登場人物のひとりが語る,「会社を辞めたら年賀状が半分になった」という嘆息は,会社一筋で生きてきたにも関わらず,リストラされてしまった中年男の哀しみとやりきれなさを象徴しているように思います。またその哀しみが,やや偶然に頼った部分が強いとはいえ,事件の核心に深く結びつけているところは,話作りとして秀逸ではないかと思います。

 ところで,主人公は,元ヤクザの息子という設定になっています。抗争により父親と兄が“鉄砲玉”に殺され,組は解散。ヤクザ嫌いであった彼は,しかし,レールの敷かれたサラリーマン生活にも馴染めず,私立探偵を生業とします。この特殊なスタンスのキャラクタ設定が,作品の内容にも密接に結びついています。
 「埋められた理由」は,幼なじみからの依頼で,30年近く,足を踏み入れることのなかった故郷―葛飾区A町―に主人公は赴きます。殺して埋めたはずの女房の死体が,いつのまにか消えていた,というミステリアスなオープニングで始まるこのエピソードでは,ヤクザの息子であるがゆえに孤独な少年時代を送った主人公と友人たちのなんともやりきれない結末へと収束していきます。
 盗みに入った家に仏壇があると,必ず線香をあげていくという「線香盗人」をめぐる「過去を抉る理由」でもまた,少年時代に主人公が知っていたヤクザたちが絡んできますし,他の2編,「憧れた理由」「地獄に堕ちる理由」でも,陰に陽に,「元ヤクザの息子」という主人公の境遇が関わってきます。
 ヤクザでもなければ,堅気でもない私立探偵,さらにそこに「元ヤクザの息子」という設定を加えることで,各編,独自の雰囲気を持たせているように思います。ストーリィ的にも,ひねりが加えられていて楽しめたのですが(とくに「地獄に・・・」と「選ばれた・・・」),全体としてちょっと薄味という感じがします。もう少し,各編で取り上げられている題材をつっこんで欲しかった,と個人的には思いました。でも短編だから仕方ないのかな?

98/08/20読了

go back to "Novel's Room"