高田崇史『QED ベーカー街の問題』講談社ノベルス 2000年

 「ホームズが全てです」(本書より)

 「空家事件」100周年を祝って開かれたパーティの席上,ひとりのシャーロキアンが刺殺された。警察の捜査が行き詰まる中,つづいて第2の殺人が! 被害者はふたたびシャーロキアン。誰が? そしてなぜ? 漢方薬剤師・桑原崇が,ホームズ譚に隠された秘密を解くとき,事件もまた最後の幕を上げる・・・

 通常,シリーズものは,第1作から読むようにしているわたしですが,本シリーズは,ネット上でしばしば見かけていたものの,『百人一首の呪』『六歌仙の暗号』と,わたしが苦手とする歴史ミステリ風でしたので,敬遠していました(食わず嫌い?)。ですが,今回のネタは「シャーロック・ホームズ」という,フィクションを相手にした作品であること(シャーロキアンにとっては「現実」だそうですが),また前2作を読んでなくても読めるという旨のメールをいただいていたこともあって,今回初チャレンジしたわけです。

 おそらく,多くのミステリ・ファンの方がそうであるように,わたしもまた,ホームズ譚のジュヴナイル版が,ミステリ小説に対する関心のきっかけのひとつです。そして後になって,新潮文庫版でシリーズ全作を読み,今もときに触れて読み返しています。けして「シャーロキアン」ほどの思い入れはありませんが,やはり,わたしにとって,ホームズ譚は数多くのミステリの中でも独特のスタンスを持った作品群と言えましょう。ですから,本作品の冒頭で示される謎―ライヘンバッハの滝以前と以後とでは,ホームズの性格や嗜好がまったく異なっている―と,主人公桑原崇による,ホームズ譚における描写や発言を手がかりとした謎解きは,ホームズ譚をひととおり読んでいる者としては楽しめる内容でした。
 ただそれにしても不思議な手触りを持った作品だな,という印象が強いですね。桑原崇による推理は,ホームズ譚を「現実」であるかのように扱いながら,フィクションの中にもうひとつのフィクションを構築する行為と言えましょう。そして,そんな「フィクション内フィクション」が,(作品内の)「現実」の事件の謎解きとオーヴァ・ラップしていきます。さながら,「フィクション」が「現実」を飲み込んでいくような,メタ・フィクション的な手触りを持っています。こういった手法が,前2作から踏襲されたものなのかどうかは未読なのでわかりませんが,わたしとしては新鮮に思えました。
 しかし,そんな「フィクション」の「解決」が,「現実」の事件の解決を導いていくという展開を見せながらも,作者は,そこにもうひとつのツイストを用意しています。そのため,「フィクション」と「現実」との間には「ズレ」を作り出されており,この作品としての「現実」に独自性を与えるとともに,着地の意外性を際だたせています。そのことがまた,単なる「ホームズ譚研究」には終わらないおもしろさを加味しているのでしょう。

 ただ文体は,少々読みにくかったですね。三人称体で書かれているのですが,地の文に「発言」と「心の中の声」がときおり挿入されており,それはそれでひとつのスタイルではあるのかもしれませんが,わたしとしては読むリズムがやや取りにくいところがありました。それとストーリィ展開がややフラットな感が強く,もう少しメリハリがほしいところです。

00/05/04読了

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