笠井潔『サイキック戦争(ウォーズ)』講談社文庫 1993年

 謎の男“レジュー・ドール”に命じられ,恋人を捨て,パリから帰国した竜王翔。しかし日本で彼を待っていたのは,彼の「力」が引き起こす惨劇だった。すべてから逃げ出し,八ヶ岳山中に隠棲した彼は,姉の失踪を契機にふたたび下界へ。そして,姉とかつての恋人の行方を追って,ヴェトナム,パリ,ピレネー,カンボジアへと,血塗られた“現代世界”を彷徨う。虐殺と狂気に満ちた世界を創り上げようとするものの意図とはなんなのか? “レジュー・ドール”とはいったい何者なのか? 翔の「力」が解き放たれるとき,世界は震撼する。

 作者のあとがきによれば,本編の主人公・竜王翔(カケル)と,現象学探偵・矢吹駆(カケル)は,同一人物かもしれない,とのことです。ともにテロ・ネットワークに闘いを挑む,ふたりのキャラクターは,たしかに共通点が多いようです。ただ矢吹駆が,複雑に絡まりあっているとはいえ,“現実”の中を「疾駆」するのに対し,竜王翔は,“現実”の地平から大きく「飛翔」している点で異なります。同じ「カケル」の名をもちながら,字を違えていることに,このキャラクターたちが身を置く物語世界の違いが反映されているのでしょう。

 主人公の血統をめぐる設定や不老不死の超人,そしてサイキック・バトルなど,「伝奇SF」という体裁をとっていますが,むしろ現実的能力による闘争に描写の多くを割いた,どちらかというと「冒険小説」的な展開をもった小説だと思います。しかし,ヴェトナム戦争での枯葉作戦,浅間山荘事件,カンボジアでの大量虐殺など,現代史が抱える,あまりに重く深刻なテーマを扱っているため,「冒険」と呼ぶのがためらわれるような暗いトーンに彩られています。物語では,これらの惨劇の背後にはいずれも「ガイスト」という秘密結社による「悪魔の種子計画」,そしてそれらを操る「レジュー・ドール」という魔人が潜んでいる,という設定になっています。本作品を読んでいて感じたのは,この物語設定とはまったく逆に,現実世界の悲惨さやおぞましさが,本編のように,単独の,特定可能な“陰謀”や“悪”に還元されることができない,ということの持つ悲惨さであり,おぞましさです。世界中で起こっている戦争や弾圧,暴力や差別が,たったひとつの“陰謀”や,あるいはその“陰謀”を操る巨大ではあるにしろ単一的な“悪”によって引き起こされているならば,単純な世界観で割り切ることもでき,また解決の方途も見いだしやすいでしょう。しかしそれらが,単独の“陰謀”や“悪”がないにもかかわらず,起こってしまっている,ということのほうが,はるかに恐ろしく,また悲惨なことではないでしょうか。うがった見方をするならば,強力な超能力を持ちつつも,姉や恋人を救い得ない主人公の“無力さ”こそが,たとえ“陰謀”を打ち砕き,“敵”を倒してもなお,“世界”の混迷を解決しえないことのメタファーなのかもしれません。

 物語としては,緊迫感のあるアクションシーンの連続で,それなりにサクサク読めていけるのですが,どうも上に書いたような物語世界の設定そのものに対する違和感が邪魔したせいでしょうか,「楽しめた」と素直には言えないようです。それとクライマックスの“アンジィ”や“レジュー・ドール”との超能力戦も,長い長い物語の終末としては,いまいち迫力不足だったような・・・。

97/06/08読了

go back to "Novel's Room"