浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』集英社文庫 2000年

 「第117回直木賞受賞作」であるとともに,表題作が高倉健広末涼子出演で映画化されたということで有名な作品です。

 日々の慌ただしい生活の中で,過去のあれやこれやを思い出す機会はそれほど多いことではありませんが,ふとしたきっかけで記憶がよみがえるときがあります。しかし,それは必ずしも楽しい想い出とはかぎりません。「やってしまったこと」「やれ(ら)なかったこと」「言ってしまったこと」「言わ(え)なかったこと」・・・もし機会があれば,相手に対して詫びたい,誤解を解きたいという,後悔の念がわき上がるときがあります。しかし,相手がすでに鬼籍には入ってしまっている場合はそれもままなりません。
 死者が幽霊という姿になって眼前に現れ,死者とのコミュニケーションによって,そんなわだかまりが溶けるというシチュエーションが,フィクションであることを重々承知していても,どこか心の琴線に触れるのは,わたしたちが,(たとえ思い出す機会は少なくとも)ただただ,そんなわだかまりを抱えたまま日々を送るしかないからなのでしょう。

 たとえば表題作「鉄道員(ぽっぽや)」では,国鉄からJRへと移行する時代の流れと,老駅員の定年退職とを重ね合わせることで,「ぽっぽや」として一徹に生きてきた乙松の哀しみを浮き彫りにします。その上で,幼くして死んだ娘の霊を主人公の前に登場させ,その哀しみを昇華させていきます。また「角筈にて」は,プロジェクトの失敗により,南米へ左遷させられる主人公が,離日直前に,幼い頃に自分を捨てた父親の霊に出会うことで,新たな人生を歩み始めるワン・シーンを切り取ってみせています。「うらぼんえ」は,窮地に陥った主人公を救う存在として祖父の幽霊が登場します。「幽霊」という素材を導入することが,お話作りとして少々安易な感がなきにしもあらず,ではありますが,上に書いたようなわだかまりを抱え込まざるを得ないわたしたちに,1編の「おとぎ話」としてのカタルシスを与えてくれるのでしょう。
 逆に,同じような構造をとりながらも,ファンタジィ色を排した「オリヲン座からの招待状」は,上の3作品ほどすっきりとした結末を迎えません。読者の想像力にまかされた,この作品の「夫婦」の行く末は,甘みと苦みとが入り交じったものになっており,より複雑なテイストに仕上がっていると思います。

 「ラブ・レター」では,偽装結婚した相手,一度も会ったことのない中国娘の遺骨を引き取った主人公の姿を描き,また「ろくでなしのサンタ」は,出所したばかりの主人公が,刑務所内で出会った男の妻子に「クリスマス・プレゼント」を送るというお話です。ともに,スーパーナチュラルな存在は登場しないものの,殺伐とした世の中に涼風を吹き込むような,ファンタジックな作品となっています(もっとも,このふたつの作品で描かれる「善意」をファンタジックと感じること自体が,ある意味殺伐したことではありますが)。
 「悪魔」「伽羅」は,本短編集ではやや傾向が異なる2編です。前者は,家族の崩壊を少年“僕”の目を通して描き出しています。少年が住んでいた屋敷を最後に訪れるラストシーンが,彼の送っていた陰鬱な日々そのものと,その終焉を象徴して,陰惨ながらホッとさせるところがあります。後者は,生き馬の目を抜くようなアパレル業界の第一線で働く“私”が遭遇したブティックの女主人との短い付き合いを描いています。どこか「奇妙な味」に通じる展開と結末で,じつは本短編集で一番気に入っていたりします。

00/04/04読了

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