風間一輝『男たちは北へ』ハヤカワ文庫 1995年

「旅の借りは返せない。返せない借りは一生背負って生きるしかない。だがな,旅の借りは,いくつあっても重いってことはない。もしかしたら,多い方が生きるのが楽しいかもしれんな。」(本書より)

 青森まで自転車で走破するために東京清瀬を発った桐沢は,小型トラックが落としていった小冊子を,忘れたメモ帳代わりにと,着服してしまう。一方,陸上自衛隊では,狂った自衛官・三田が作ったクーデタ計画書が漏洩。その回収に血眼になっていた。桐沢が手にした小冊子こそ,その計画書だったのだ。青森へ向かう桐沢の周囲には不穏な空気が流れはじめ・・・。

 物語はふたつのパーツから成り立っています。ひとつは,東京から青森へ向かう“俺”こと桐沢風太郎のストーリィ。44歳のアル中のグラフィック・デザイナの彼は,かつて高校の友人が青森まで自転車旅行したことに憧れ,北へと旅立ちます。その途中,無銭旅行をして,青森まで目指す少年に出会います。彼らのやりとりは,いかにもハードボイルドといった感じで,なかなか楽しめます。
 また,物語にはもうひとり北へ向かう裸足の旅人が出てきます。桐沢が旅館からもらったおにぎりが,彼の手を通じて,偶然少年の手に渡るなど,「旅の不可思議さ」を浮かび上がらせる鮮やかなエピソードです。そういった意味で,この作品は,なによりも「旅小説」(あるいはスポーツ小説)なのかもしれません(もちろん「トラベル・ミステリ」などではありません(笑))。

 もうひとつのパーツは,流出した「三田北方作戦」の計画書を奪還すべく,桐沢にアプローチする陸上自衛隊の姿を,“私”こと尾形圀夫を中心に描いていきます。ことを荒立てずに成し遂げられるはずだった任務は,アクシデントや思いこみのため,しだいに泥沼化していきます。そして「三田北方作戦」の全貌が明らかにされていく過程で,だんだんきな臭い空気が流れはじめます。
 はっきりいってこちらのほうは「間抜け」というか「お粗末」です(笑)。奪還すべき書類を間違ったり,寝過ごしたり,サスペンスを盛り上げるためとはいえ,その盛り上げの「きっかけ」が,なんとも情けないです。なにより「三田北方作戦」があまりに胡散臭い(笑)。作中,何度も「狂気」という言葉が出てきますが,「狂気」という言葉を出して済ますには,少々(?)荒唐無稽で,説得力があるように思えません。

 「旅小説」の部分と,「自衛隊謀略劇」の部分とが,交互に描かれ,たしかに偶然計画書を入手した桐沢を介してつながっているようにも見えるのですが,どうも結局は「別々の物語」という印象が拭えません。
 チャップリンのコメディ映画などでは,道行く主人公が,ふと身をかがめたり,気まぐれに道を折れたりして,本人が気がつかないうちに,危険を紙一重で避ける,というシーンが,しばしば見られます。この物語を読んでいて,そんなことを思い出しました。でもコメディとしてしまうには,「旅小説」の方はハードボイルドすぎますし,「謀略劇」の方は重すぎます。

 「旅小説」の方は楽しめたのですが,「謀略劇」の方はいまいち,という感じで,総体的には(~-~)といったところでしょうか。

98/03/08読了

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