夢枕獏『陰陽師 付喪神ノ巻』文春文庫 2000年

 「おれはな,晴明,おまえがいるから,この世はそんなに悪いものではないと,そんなふうに思っているのだ」(「打臥の巫女」源博雅のセリフより)

 「ジャパネスク・オカルチック・ホームズ&ワトソン譚」と,わたしが勝手に(笑)呼んでいるシリーズの第3弾です。ますます円熟の度を深めてきたとも言える7編を収録しています。
 ところで,文庫の「帯」によれば「映画化決定! 主演・野村萬斎 東宝系2001年秋公開予定」とのこと。野村萬斎という役者さんは,ほとんど知らなかったのですが,ネットで調べたら,「狂言界の若きプリンス」だそうで,写真を見ると,岡野玲子描くところの安倍晴明に,かなり近いお顔立ち。あとは,原作とマンガが持つ妖艶で,それでいて飄々とした雰囲気を,実写でどれだけ出せるか,といったところでしょう。源博雅は誰が演じるんでしょうね?

「瓜仙人」
 長谷寺から都へ戻る途中,博雅は,不可思議な老人と出会い・・・
 物語の前半,源博雅瓜仙人との出会いを描くシーンで挿入される,さまざまなエピソードが,中盤から終盤にかけて,するすると結びついて展開していくところは,このシリーズのミステリ・テイストを存分に味わえます。
「鉄輪」
 深更,貴船神社を訪れた女に,宮に仕える男が声をかけたことから・・・
 この作者は,かつて「『雨月物語』のような物語が書きたい」と,どこかで書いていたように思いますが,この作品こそが,その指向性−凄絶で,それでいて哀しみをたたえた美−が強く出ているのではないかと思います。恋を失ったゆえに鬼となった女の絶望と,それを助けることのできなかった博雅の,じつに雄々しく,そして深い哀しみとが共振するクライマクス・シーンは絶品です。本作品集で一番楽しめました。
「這う鬼」
 とある貴人に仕える男が,所用を済ませて家に戻る途中,ひとりの女に呼び止められ・・・
 このエピソードも,男女の愛憎が生み出した「鬼」を描いています。「這う鬼」のグロテスクな造形もいいですが,その「鬼」を生み出した女の壮絶な行為も,ゾクゾクとする「怖さ」があります。その一方で,「鬼」を退治する晴明の機転も楽しめます。
「迷神(まどわしがみ)」
 みずから望んだとはいえ,「反魂の術」で甦った夫に怯える女は,晴明に相談し・・・
 晴明のライバル芦屋道満の登場ですが,彼については,あとでコメントします。前半,晴明が,博雅を使って,智徳法師から,事件の原因である鼠牛法師のいる場所を聞き出すシーンは,晴明の「搦め手」がいいですね。
「ものや思ふと・・・」
 天徳四年の内裏歌合の後に悶死した壬生忠見の「鬼」が宮中に出るという・・・
 有名な村上天皇主宰の内裏歌合と,これまた有名な和歌二首をめぐる「裏の事情」を描いた,伝奇テイストが横溢したエピソードです。歌の才に欠けた,親子二代の苦悩が生み出した「鬼」の姿は,「鉄輪」や「這う鬼」で描かれた「鬼」とは,またひと味違った,もの狂わしいまでの哀しみに満ちています。なまじ「歌の善し悪し」がわかるだけに,その「良い歌」を作る才がない哀しみというのは,いかばかりものか,胸につまされます。
 ところでこの作品は,岡野玲子版『陰陽師』7巻「菅公 女房歌合わせを賭けて囲碁に敵(あた)らむ」の元になっていますが,岡野版では,かなり改変を加えていますね。マンガはマンガなりに,独自の「世界」を築きつつあるようです。
「打臥の巫女」
 予言をよくする「打臥の姫」から,「瓜」とのみ伝えられた藤原兼家は,買った瓜の吉凶を晴明にたずねるが・・・
 冒頭,作者は,平安時代栄華を誇った藤原道長のエピソードを語ります。そしてその父親兼家へと話を繋げていくのですが,この藤原一族,いわば俗世で栄達を果たした一族と,晴明や芦屋道満八百比丘尼といった,俗世から一歩離れた「異能」の人々とのコントラストを,鮮やかに描き出しています。
 しかし「異能」を持つがゆえの孤独さという点では共通しながら,晴明は,道満や比丘尼とは一線を画します。それは博雅の存在です。博雅は,「まったく,おまえとつきあっていると,こういう目にいつも合う」(「血吸い女房」)などと晴明に毒づきながらも,冒頭に掲げたような,どこか「恋の告白」とさえ思えそうな,せつないセリフを投げかけます。晴明の「孤独」は,この博雅によって癒され,救われているのかもしれません。そこが,みずからの「生」を「退屈しのぎ」と斜に構える道満や,「死ぬまでの時間をなにかで埋めなければならない」と呟く比丘尼と,大きく違うところなのでしょう。
「血吸い女房」
 アンソロジィ『血―吸血鬼にまつわる八つの物語―』所収作品です。感想文はそちらにあります。

00/11/17読了

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